それがドラマの下町企業はどうだろう。

その程度の視聴者が支えるメディアに公平を期待してはいけない。公的持株会社もちかぶがいしゃ〝NHK〟は放送子会社を持つことを認められているが、委託の内容は公明正大だろうか。おいしい天下り先になっているのでは。

子会社といえども利益の追求を認められているのだから、原資は迂回投資に違いなく、脅迫的な会費集めによるファンドは不可解と言わざるを得ない。

胡散臭うさんくさい。

目を戻すと、下町の零細事業主れいさいじぎょうぬし常態じょうたいは不安が多くて体力がない立場だ。

情けなくても自分はそうだった。

あてにならないのは顧客のほかに、従業員と銀行と天気。従業員のことは言った通りだが、銀行の査定で驚いたのは、起業に際して実績がないと融資を断られたことだった。これは公共事業の入札も同じで、経歴を問われる。

新規参入ができないわけだ。天気に至っては黄砂や〝PM2・5〟なんか宇宙規模の激変だから手の施しようがない。

触れずにいても放射能はどうかとおもう。どうしようもないから経営者が何かにすがるのに同情できても、〝商工会しょうこうかい〟は片腹痛かたはらいたかった。もっともそれがどんな団体でも〝のう〟でも〝きょう〟でも〝〟でも、〝ネクタイ組〟のそもそもの支配で、新型の貴族きぞくはぐくむ。

多様にも、おしなべて新型はいただけないのだが、ひるがえってこのたびは手柄てがらもあった。新型コロナウイルスでは政府せいふ無力むりょく露呈ろていした。

震災しんさいもそうだが、全国民的事故事件の際に何もできない。第二次世界大戦の八紘一宇はつこういちう[注1]はなんだったかと、〝日本紀局にほんぎのつぼね〟[注2]に聞いてみたい。

我が鶏口牛後、〝牛の尻尾しっぽよりにわとりの頭だ〟の親父は、学校に遅刻してでも朝飯は食えと、一椀に沢庵二切れ・味噌汁つきの朝飯には、長い間何の不満も持たなかったし、無学と言ってよい親父は鞠養きくよう懸命に一家の主あるじを演じていた。

ざっと七十年前は元号昭和の話。いつだってあるじは一族を食わせなければならない。

元号と言えば、宇多うだ天皇(亭子院ていじいん)[注3]の以前はおおむ践祚せんそでなければ、瑞兆ずいちょうに元号を替えたが、『源氏物語』の醍醐天皇(延喜帝えんぎてい)の以降、践祚はそれとして、天変地異てんぺんちいのみが何度も元号を替えさせた。

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[注16]『日本書紀にほんしょき』の一節、〝掩八紘而為宇〟(八紘あめのしたおほひていへにせむ)を引いて、海外侵攻戦争を高揚する標語にした。〝掩八紘而為宇〟は巻三〝神武天皇じんむてんのう〟に記述。第一代天皇の漢風諡号。和風諡号は神日本磐余彦天皇かんやまといわれびこのすめらみこと

[注17]〝日本紀局にほんぎのつぼね〟とは紫式部のこと。女性ながら漢文による〝日本紀〟を読み解くのに感心して、主しゆ君くんの帝(一条天皇)があざなにした。

[注18]『宇多天皇』は第五十九代天皇。いみな定省さだみ別称亭子院べつしょうていじいん、ほか。