【前回の記事を読む】長年の肉体労働で上がらない肩…体を回復させた現代医療に感慨

創業そして解散

ところで、老化と自分なりに判断したのに訳がある。以前、太股に痒かゆみのある十円大の(あざ)ができて、何度かお世話になった、歩いて百数十歩の皮膚科に飛び込んだ。それが患者を安心させるだろう大きな声で、決まり文句の「どうしました」で診察を受けた。患部(かんぶ)素手(すで)で、指先(ゆびさき)(さす)って「体質(たいしつ)が変わったね」と塗り薬をくれた。

体質が変わるってどういうことだろう、とすぐには納得できずに、例によってそのあと二日(ふつか)三日(みっか)考えた。政党(せいとう)の体質が変わったならなんとなく分かるが、一個の肉体が突然(とつぜん)変化(へんか)する。それがたしかなのは怪我か病気しかない。病名も知らされず、先生はなんの説明のないまま塗り薬しか出してくれなかった。

ひねり出した結論は老化(ろうか)だった。たしかに()(ろう)らしきはとうに超えている。()(ろう)は何歳を言うのだろう。老翁(ろうおう)は眼に心地よいが、老獪(ろうかい)はいかがなものか。(ろう)がなんなのかと、とうとう頭が老害(ろうがい)になった。とにかく老化(ろうか)によって、皮膚に取り付く(かび)への抵抗力(ていこうりょく)が減っていると、耄碌(もうろく)の始まりを予感した。

患者に、患部にじかに手を触ふれて安心を呉れるのは整形外科の先生も同じだった。おしなべて聴診器(ちょうしんき)診察(しんさつ)する先生よりも、理学療法士・作業(さぎょう)療法士(りょうほうし)などの患者と濃厚(のうこう)接触(せっしょく)する人のほうが、親密(しんみつ)さのうえ、なにがしか(うやま)心持(こころも)ちにさえなる。それでCOVID-19だが、クラスターの予防には限界(げんかい)があって、人情(にんじょう)を持ち出せば()けられない理屈。少なくとも昭和はそうだった。

ところが今こうして、書きつつあるこの時、新型コロナウイルスの蔓延(まんえん)が人と人の距離を離そうと働いている。遮断(しゃだん)しようとしているのは、だから反社会性の強い病になるのだろう。でなければ新しい社会、国際交流のあり方への促しだろう。国と国を切り離す現実には全く別の思いがあるのだが。

それで、ともかく手術の気配(けはい)一切(いっさい)なく、民間委託の市民病院で整形外科の先生が処方した薬は新薬(しんやく)らしかった。どうやら服用(ふくよう)の量に上限があって、二ヶ月五十六日分をまずは日々控えめに出してくれた。なにか体内に徐々に蓄積(ちくせき)する用法のようで、痛みが増したからとにわかに量を増やしても、効き目がすぐに現れないと言い含められた。むしろ劇薬(げきやく)らしくさえ聞こえる。

服用して一週間もすると痛みは明らかに和らいだが、目標にはさらに時間を要した。養生のような時間が快方に向かうのとは違っても、薬の効き目には時間だった。途中、徐々に量を増やして、三ヶ月あとにはすっかり、見かけは健康になった。見かけとは病状(びょうじょう)(ひょう)するなら、骨格(こっかく)変形(へんけい)が元に戻る異常が、奇異(きい)がないかぎり、完治(かんち)したとはいえないからだ。痛みのみが薬で和らいだだけで、骨が、骨格が戻ったわけではないのだから。完治は望むべきはなかった。