創業そして解散
およそあの戦争をかいくぐって、混乱の国土、当時、朝鮮戦争の特需に乗った勢いで昭和の三十年あまりを越すとは誰が想像しただろう。惨憺たる敗戦のあと、たった十五年での復興はいかにも神がかりになる。
奇しくも平成の元号の初め元年、1989年の夏、七月に新会社の営業を始めた。工業高校を卒業してから三十年、三国志[注1]の諸葛孔明[注2]を信奉する父親の教訓通り、鶏口となし得た。初めはパトロンがいる、雇われ社長。完全独立にこだわらなかったのは、上場企業に同じだからだ。
創業家が経営を牛耳るのは、それが老舗のデパートでも自動車メーカーでも、いずれなり代わるのが時流だった。一代で一流企業に育てあげて、市場に株を開放した電器メーカー、バイクメーカーの創業者には 潔い城主に見えた。
不思議といおうか幸運といおうか、二年あと、バブルが地代を押しあげて、ローンの残っている土地家屋が、こっちとしては法外に評価されて、それを担保に借りたカネで経営中の会社を買い取った。もちろん背水の陣、だ。
人生すべからくしかり。そのうえ社長だろうと平だろうと、雇われる身は究極、牛後だ。トップには広大な自由があるとは言うものの、自由に責任はつきもの。事業に失敗は人に失命。そうだとして、友人の会計士に、所詮は搾取と会社の利益を揶揄されて苦笑するしかなかった。
たしかに黒字だ、赤字だといっても、大部分は数字の絡繰りでしかない。一つだけ答えらしきことを言うなら、決算が赤字の場合、非常勤の役員報酬は遡って返納するべきと、かぎりなく税収に近づける。
悪乗りすれば、赤字財政に身を置く議員には議員報酬を返納させて、生活保護費にあてさせる。上級官僚も一絡げにして。かくも当世の平穏に安住できない性格が、案外リーマンショックをも潜ったのかもしれない。目くじらを立てる癖のこと。
[注1] 『三国志演義』、は中国の歴史小説。翻訳されて江戸時代から愛読されている。
[注2] 諸葛亮、字が孔明は、『三国志演義』物語中、策謀を巡らす軍師として活躍。