【前回の記事を読む】盆休みの朝のこと、目覚めたその場で身じろぎできなくなった

創業そして解散

以前、個人の無駄遣いは国家の損失というフレーズが一人歩きしたことがあった。高度経済成長より遥かにかけ離れた昔のこと。なぜだかもっともっと昔の、子供のころを思い出した。

習字の用紙は何を練習したのか分からないほど真っ黒にしたし、乾物の包み紙なんかでかろうじて手に入れた新聞紙を、手でもみほぐして用便(ようべん)のあとの尻拭(しりぬぐ)いに回したことを。もちろん便所は汲取(くみと)りだった。気が付けばいつごろからか、すっかり消費(しょうひ)生活(せいかつ)浪費(ろうひ)かもしれない生活に()かり切っていた。令和の今、我が家から資源ゴミの出ない日はない。

()柱管(ちゅうかん)狭窄症(きょうさくしょう)”“脊椎(せきつい)(すべ)り症”“椎間板(ついかんばん)ヘルニア”“下肢(かし)末梢(まっしょう)神経(しんけい)障害性(しょうがいせい)疼痛(とうつう)”これが手作(てづく)りのメモ用紙に書かれた、先生のこなれた字面(じづら)の病名だった。いつもながら家に着いてからころころ考えて時間をかけ、ようやく骨組(ほねぐ)みが壊れたと理解した。

先生の言い回しや雰囲気から、とりあえず直ちに手術とはならないようで、と言うよりこれは老化現象の一つだから、紫式部(むらさきしきぶ)※1の好きな蓬莱山(ほうらいさん)※2たどり着かないかぎり、しいては仙薬(せんやく)が欠かせないと言うあり得ないことになる。

病院にとって、診断書はカネになる。が、公共性の総合病院ではそういうケチな(ぜに)(もう)けはしないということだろう。用をなさない書面は、これは知人の口癖、銭をただただ“どぶ”に捨てるのと同じだ、と。これまで一度たりとも民間の保険金を頂戴(ちょうだい)したことはなかったが、またもや空振(からぶ)りになる。

もちろん不要の診断書を額縁(がくぶち)に飾るほどの悪趣味(あくしゅみ)は持たなかったから、出費は免れた。ただし、“どぶ”はインフラの毛細管。“どぶ”に捨てるというこの比喩(ひゆ)は、(じつ)にはほど遠い。“論語”や“漢書(かんじょ)”にだって出てくるくらいだ※3

だから、これが口癖の元パトロンへのオマージュとする。たまたま同じ(とし)の彼は六十歳に三日届かずして死んだから、思えばもう二十年前に他界したことになる。

  


※1:平安(へいあん)時代(じだい)中期の歌人、『源氏物語』の作者。

※2:古代中国からの空想上の神山。中国の(ひがし)の海にあって仙人が住み、不老不死の薬、仙薬を造るという。①白居易、『白氏文集』“新楽府”その四(海漫漫)“(うみ)漫漫(まんまん)たり”より。②『日本書紀』第二十一代雄略天皇、二十二年一月一日。

※3:①『下村湖人全集第五巻・現代訳論語』池田書店・1965年・憲問第十四の十八。②『中国古典文学大系13・漢書・後漢書・三国志列伝選』本田済編訳、平凡社・1968年。厳助・朱買臣伝。