なんともにわかには受け入れがたい病名を眼にして、勝手に手術が頭をよぎったのには訳がある。高校は同級生の数年来のコンペのプレイあとのパーティーで、優勝者の挨拶があった。一泊二日の手術で狭窄症が完治して、ゴルフが普通にできると。あわせて百万円超の自己負担費用をさりげなく吹聴し、しかしその効果を素直に大いに喜んで、ハンディがシングルにもなると尤もな実感なんだろう。
たしかに聞かなければ、いや、聞かされても全くの健常者だった。それを思い出した。それならば、会社解散に全額支出を覚悟していた、なけなしの蓄財の一部を宛がおうと。ところが、同居する理学療法士の長男に反対されて、理由をたださないまま敢えなく断念した。
その息子が大学生だったからもう二十七、八年前になる。時を経る我がことに今更のように感じ入るが、当時それが本領の残業に休出の連続で、挙げ句に右手が肩から上に上がらなくなった。ここではほとんどが肉体労働だったからだ。
たまたま正月休みに戻った医療短大二年の息子は、ここが三頭筋、ここからここに何々筋は忘れてしまったが、どうのこうのといいながら、多分実習を兼ねて、一時間を超えて上半身をもみほぐしてくれた。その場で右手は、右肩は元に戻った。以来、現代医学に感慨し、息子を尊敬することにした。
ただし息子の場合、その技能にかぎり独身時代のそれで、妻子を儲けたあとのことは別としておく。舅根性かもしれないが“親の心の闇”※4としておこう。
※4:『後撰(ごせん)和歌集(わかしゅう)』、“人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな”藤原兼(ふじわらのかね)輔(すけ)