【前回の記事を読む】日本人と死生観…レヴィ=ストロースが京都で語ったこととは?
第1章 前提としての「無常観」と「アニミズム」
第2節 無常観と「夢の世」あるいは「夢幻泡影」
古代日本人のアニミズムは、仏教導入を契機に「神祇信仰」と捉えられて後の「神道」成立につながり(高取正男『神道の成立』平凡社ライブラリー⑨)、またその神祇信仰は仏教の中でもヒンズー教的多神論の性格が強い天台・真言密教と結びついて「神仏習合」をもたらし(湯浅泰雄「かたち」岩波講座第16巻『東洋思想日本思想2』一九八九年所収)、それが原則的には江戸時代終わりまで日本人の宗教的心情を形作ったという歴史伝統とおそらく関係がある。
山川草木の生命活動を精霊=「カミ(神)」の働きとして見るアニミズムの思考は、おそらく自然の恵み豊かな風土たるこの日本列島に古くから住んだ人々が抱いたものであろうが、後には仏教などと習合して山岳信仰や「草木国土悉皆成仏」(=「草木や国土のように心を有しないものさえも仏性を持っているので、ことごとくみな仏になる、という意」。前掲④)という思想も生んだ。
こうした思想は、キツネもヌエも桜もシテとなり、「そういうのが全部、霊をもっていて苦しむが、最後にはすべて救われる」ような内容の劇である「能」をも成立させた(五木寛之・梅原猛『仏の発見』平凡社二〇一一年の梅原発言)。また死生観に限っても、後述する「虫けら論的死生観」も生んだし、江戸後期に始まる旧新宗教やスピリチュアルな死生観の「生命主義」的傾向や明治以降の日本人の「宇宙・自然回帰的死生観」を支えるものともなっていった、と考えられる。日本における唯物論的死生観については後に見るが、日本では徹底した機械論的唯物論に立脚し得なかったのもこれと関連するように思われる。
最後に、シャーマニズムとアニミズムの関係について補足しておきたい。日本の巫女やイタコ、沖縄のユタなどのシャーマンによる死者の霊魂との交流は、現代のスピリチュアルな新宗教の「チャネラー」も含めれば、今日まで続く長い伝統を持つ。そのシャーマニズムはアニミズムを基盤とする霊アニマがわが身に降りて何かを告知するのがシャーマンだと考えられ、天才的なシャーマンから多神教も一神教も生まれたとされる(岩田慶治『コスモスの思想』NHKブックス昭和51年)。
そのシャーマニズムは、東アジア全体の場合、中国を中心に広まり、儒教文化の基盤ともなった。白川静や加地伸行によれば、「儒」とは「巫祝」すなわちシャーマンのことだった(加地伸行『儒教とは何か』中公新書一九九〇年)。『魏志倭人伝』に記された、「鬼道」に事えたという古代日本の卑弥呼もシャーマンだったに違いない。「鬼」とは「死人の魂、神として祭られた霊魂」の意味だ。