「しかし、大海人も器用なものじゃな」
「大王、いや母上、笑っているばかりではいけません。先ごろは崑崙の伎楽面を被り、マラ型をもって舞いながら侍女を追いかけておりましたぞ」
中大兄が大海人の肩を突きながら言った。大海人はかしこまったふりをしながらもまんざらでもなさそうな顔でくすくすと笑っていた。マラ型とは男性器を誇張した造り物である。伎楽では異国人を模した崑崙が、これを扇で叩きながら呉女に言い寄る演技で使われる。
「大海人、そのような下品な舞いをどこでおぼえたのですか?」
と間人が尋ねた。
「姉上、仏典を習うために斑鳩寺に度々通っていることはご存知でしょう。斑鳩寺には伎楽の一団が置かれています。毎年四月の仏生会と七月の伎楽会には仏に納める行事として上演されますが、これがなかなか面白いのです。今度一緒に行きませんか」
「結構よ。私はあなたのように気楽に宮を出ていく訳にはまいりませんから」
王女が人前に姿を表すことはほとんどない。特に母が大王となってからは、今日のような新春の行事でさえ出席させてもらえないのだ。
「大海人はずいぶん無理を言うて伎楽の舞を習い始めたそうです。王子の頼みでは誰も断れません。迷惑なことでありましたでしょう」
と、中大兄が言った。
「しかし覚えが早いと、いつも伎楽舞の長に褒められます」
と、大海人は屈託のない笑顔で言った。大王の王子なりに大きな屋敷と多くの舎人を与えられているが、もとより宮中に閉じ込められるような生活は好まない。したがって、今でも一人でふらふらと都を歩き回って舎人たちを慌てさせることが度々あった。
「まあ。十七にもなっておれば、自分の立場をわきまえなければなりませぬな」
と、母が言った。
「あ、そうじゃ大兄よ、遠智の子は大事ないか?」中大兄王子の妃、遠智娘のことを問うたのである。去年は第一子、大田王女が生まれている。
「まだ襁褓も取れませんが元気に乳を吸うております」
「そうではない、お腹の児のことじゃ」
「おっと、そうでしたな。今日はそのことを話さねばと思っておりましたが、母上はもうご存知でしたか」
「遠智がすぐに知らせてくれたわな。もう三日も前じゃ。薬師の言うには四月くらいになるとか。どうせ大兄はなかなか話さぬであろうからとも書いてあった」
「遠智も余計なことを言う。師走は何かと忙しかったのです」
「次は王子であればよろしゅうございますな」
と、大海人が言った。
「まあ、そうであればよいが、また姫でも構わぬ。どうせ我は大王の跡を継げぬ身だからな」
大王は中大兄の言葉に目を伏せた。