第一章 大化

皇極女王

四年前、前の大王舒明が崩御した際、日嗣王子となり得る者が二人いた。中大兄王子と、蘇我馬子の娘、法提郎媛との間に生まれたふるひとのおおえのみこである。しかし当時、中大兄は十六歳、古人大兄は十七歳という若年であったため、后であった寶王女が中継ぎの大王として即位した。ここにいる皇極女王である。

これで中大兄王子が王嗣から除外されることとなった。中継ぎの女王を立てられると、その実子は大王を継承できないのである。蘇我蝦夷の言うままに即位させられた母は中大兄王子に対しても、亡くなった夫、舒明に対しても、多分に後ろめたい思いを抱いているのだ。

そのような事情があるにせよ、次に生まれる子が「男でも女でもよい」と言ったのが中大兄の本心ではないと大海人にもわかる。そして、兄が蘇我本宗家、とりわけ今の大臣である蘇我入鹿そがのいるかを憎んでいることも知っている。母を大王に立てるや、蝦夷は大王には無断で大臣の位を息子の入鹿に継がせたのだ。大臣は実質上の最高権力者である。入鹿は大臣の座に就くと、即位したばかりの母に次々と新しいみことのりを出させた。

「あとは、間人の嫁ぎ先を決めねばなりませんね」と、母は間人王女の方を見て話題を変えた。

「私は兄上の決めたところにいつでも嫁ぎます。と言うより、早くよい方を見つけてくださるのを待っていますの」

「早く嫁ぎたいのか」

「こんなところで籠の鳥のように閉じこもっているのはもうたくさん。大海人のように気ままに暮らせるものなら、たとえ兄上の大嫌いな大臣のところにでも」

「馬鹿を言うな。誰が入鹿のところになどお前をやるか」

中大兄はふと気付いたように大海人を見た。

「そうだ、大海人もその年でまだ独りというのはいかんな」

「我も大兄がよいと思う姫があれば、喜んで娶りますが、今はまだ独り身が気楽でよろしゅうございます」