風太の勤める某大手出版社の近くに、一筋の長い桜並木がある。風太は毎日の朝と晩、駅から出版社までの道のりでこの桜並木を横切る。桜が満開の季節になればそれはそれは綺麗な薄桃色の花びらを宙に舞わせ、新たな春の訪れを知らせる。その薄桃色の桜の前では、いくら桃色を嫌う南雲さんでさえもついついうっとり、ほっこりとしてしまうのだった。
毎年四月の初めに催される桜祭りでは桜並木に沿って出店という出店が立ち並び、朝から晩まで多くの人々でにぎわう。また、桜祭りでなかろうと毎日どこかの団体さん方が公園の一角で花見をする。したがって春という季節、この公園の近隣住民は毎夜毎夜酔っぱらいおじさんのつまらぬギャグと間抜けな叫び声を聞かされ続け、寝不足になりノイローゼになるのが恒例であった。
しかし、今は夏が始まろうとする六月であるから、桜並木もただ葉の生い茂った並木と化すのである。桜の咲き誇っていた時期と比べると初夏の並木道はワサワサするばかりで、心なしか春を尊く感じる時もあろう。
そんな六月のある日の夜、桜並木にて風太は再び南雲さんを見かけた。彼女は公園のベンチで一人、星を眺めている。月明かりに薄っすら照らされる南雲さんの美なる輪郭が駅に向かう風太の足を止めたのは言うまでもない。終電はまだまだ先であるし、ここはひとつ夜の公園で会話に華を咲かせようではないか。夜の公園に男女が二人きりとはロマンティックにもほどがある! そう意気込んで、風太は南雲さんの座るベンチに足を向けた。