【前回の記事を読む】【小説】何故彼女はあんなにもハレンチを忌み嫌うのか?
ハレンチの敵
椅子に座った風太に編集長が呼び出した用件を伝える。どうやら南雲さんの担当者から風太を外すわけではなかったようだ。それがわかった途端、風太は安心しきって胸を撫で下ろした。するとようやく周りが見えてきて、自分が久しぶりに編集長室に入ったことに気がついたのだ。桃色漫画を置きっぱなしにした日以来である。椅子の座り心地は普通だ。机もそれほど高価ではない。編集長とはいえ社長ほど偉くはないのだ。
「案外安っぽい生活をしているな」と風太は編集長を上から見る。自分が家賃三万円のボロアパートに住んでいることは見ないふりであった。ぼおーっと余計なことを考える風太に編集長は告げた。
「来月も減給だな」
「バカな」と風太は椅子から崩れ落ちた。
「何故ですか? 編集長」
「お前、ちゃんと私の話を聞いていたか?」
「いいえ」
風太は意外と正直者である。そんな風太を見て編集長は溜め息をついた。その心中は察する。
「お前が本当に南雲氏のことを想うのなら、こればかりはシッカリと聞いておけ」
編集長がどっしりとした声で風太にくぎを刺した。編集長のただ事ならぬ雰囲気に、風太も今度はシッカリと編集長を見据え次の言葉に構えた。編集長がフゥーと大きく息をする。
「来週の日曜、南雲氏のサイン会が行われる同会場において、グラビアアイドルの撮影会が行われることになった。今朝の会議で急遽決まったのだ」
「阿呆な」
「しかもグラビアアイドルは五人も来る予定で、その全員がボンキュボンを極めているそうだ」
「阿呆な!」
「さらに撮影場所はサイン会の行われる部屋の真上だ」
「阿呆なああ!」
風太は思わずそう叫んだ。ハレンチを忌み嫌う南雲さんの近くでグラビア撮影など正気の沙汰ではない。水着姿のボンキュボン乙女たちがパシャパシャと写真を撮られる様子を、もし南雲さんに見つかったら? 本社ビルは凍結し、未来永劫冷凍保存されることだろう。
「何故そんな事態に陥ったのです? 編集長だってオパビニア新人賞の時に起きた猛吹雪を覚えているはずでしょう?」
「わかっているさ。私だって困っているのだ。しかし社長がスケジュール調整を面倒がったのだ」
これが社会の荒波か。風太は歯を食いしばった。社長のおたんこなす。そのスケジュール合わせを面倒くさがった結果、お前は南雲さんに氷漬けにされるのだ。
「サイン会の日、お前は南雲氏の行動を逐一観察しろ。そして絶対に上の階へ行かせるな。どんな嘘をついてもいい。撮影現場を見せなければそれでいい」
そう言って編集長は真剣な眼差しで風太を見る。風太は「うむ」と大きく肯き編集長と握手をした。風太が入社して以来初めて、編集長との間に友情が生まれた。
「サイン会が成功したあかつきには減給取り消しということで」
「それとこれとは話が別だな」
無慈悲な! と風太は嘆く。しかしそれ以上にサイン会の行方が心配であった。それは本社ビルの凍結を恐れているということもあったが、それだけではなかった。
「吹雪を起こしてしまう南雲さん自身も、つらいに違いない」
風太に南雲さんの何がわかるのかと問われれば、何もわからない。しかし彼女の心がわからなくたって吹雪は寒い。涼しいのは良いが、寒いのは良くない。風邪をひいてしまうではないか。部屋を出る風太の背中に編集長が言った。
「仕事に私情を挟むなと言いたいところだが、お前に関しては少しだけ応援するよ」
絶対に、一〇〇パーセント、いや一二〇パーセントあり得ないことだが、もしお前がきっかけで南雲氏のハレンチ嫌いが直れば、仕事もしやすくなるからな、と付け加えて言う。
「期待してもいいですよ」
風太はニッと笑ってグッと親指を突き立てた。