一方で、大物主を祖とする父方系図は、『古事記』「大年神の神裔」に詳しい。「大年神」=「饒速日」=「大物主」であるから、「大年神の神裔」とは「大物主の神裔」でもある。松尾大社(京都市)や日吉大社(大津市)の祭神「大山咋神」も、この「大年神」(饒速日=ユダヤ系首長)に連なっている。
大和岩雄先生の左記引用文は、「建甕槌命」の神名変化を載せている。ここでは土器を表す「甕」が変遷していく様子を学ぶことができる。『中臣・藤原氏の研究』によれば、「甕」をご神体としたのが鹿島神宮であり、その祭神は武雷槌神である。本来の神名「建甕槌命」にあった「甕」を「雷」に替え、「建」を「武」に替えて、甕神を武神にしてしまったのが藤原氏であった、という。その該当部分。
『古事記』の崇神天皇記に載る、三輪氏の始祖のオホタタネコの親としての「建甕槌命」表記は、「口承系譜の名残り」を文字化した、漢字が入る以前からの伝承であり、崇神天皇記に載る「建甕槌命」は、葦原中国平定のために派遣された『古事記』の神代記・神武天皇記が書く「建御雷神」とは異質の「甕神」である。(略)
『記』『紀』の神名表記から見たタケミカツチについての新旧の順序は、
1 建甕槌命『古事記』(崇神天皇記)
2 武甕槌神『日本書紀』(神代紀下巻)
3 武甕雷神『日本書紀』(神武天皇紀)
4 建御雷命『古事記』(神代記・神武天皇記)
という順序で、「甕神」から「雷神」に変化している。このように「タケミカツチ」という呼称は同じであっても、『記』『紀』はこの神の神名表記を文字表現で変えて、甕神を武神・雷神化している。この事実をいままでの論考はほとんど無視して論じているが無視できない。(『中臣・藤原氏の研究』大和岩雄著/大和書房・2018年)