第1章 始まりは電話から

職場に電話がかかってきた。

「母がドーナッツなんとかという病気にかかって死にそうなので、すぐ帰ってきてくれ」

父は慌てふためいていた。元々父は医師から母の病状を聞くのが怖くて私が聞くのが通例だった。片道3時間。JRに乗っている間ずーっと悩んでいた。ドーナツ型の臓器のパーツってどこかにあっただろうか? 中学の理科室にあった太郎君(人体模型)を頭の中で一つ一つ分解しながら結局わからず、ぼーっと列車の外を見ていた。病名は「大動脈解離」だった。どこがドーナツだったのだろう。父は結局最期まで、正確に覚えきれなかった。

「大動脈解離」とは、とても怖い病気で、血管は、3層の円筒状でできているが、そのうち、内側の2層が裂ける病気で、母の場合、裂けた場所は、病名通り大動脈。裂けた位置は背中の上の方だった。この病気は、最後の血管の3層目が裂ければ、死ぬ。また、下の方に裂ければ、痛いけれど、問題ない。しかし、上の方に裂けて大静脈にたどり着いたら、死ぬ。

母の場合「10㎝くらい裂けていて上側にあと4㎝くらい裂けてしまったら死にます」と、説明を受けた。いい方なの? 悪い方なの? 上に裂けていく確率はどれくらい? ずっと激痛がしているそうで、「覚悟してください」と言われた。子供を産む時以上に痛いそうで、でも一度も弱音を吐かなかった。

治療は最後の1層を血液で固めて補強すること。しかし、母は静脈瘤持ち。血液を凝固する治療ができない。「覚悟してください」という医師の言葉がしばらくリフレインしていた。フッと息をすると振動で裂けるかもしれない。ぽんっとあたると裂けて死ぬかもしれない。治療もできず、いつ裂けてもおかしくないが夜は見守りつつ昼はまあまあ会社にも行きつつ良くも悪くもならない硬直状態のままひと月またふた月と過ぎようとしていた。