後年のことだが、父治宇二郎の事績を調べる必要があり、治宇二郎の母校小松高校に校長の井口哲郎先生を訪ねた。『跫音』のことに話が及ぶと、文学者の井口さんから、治宇二郎は「獨創者の喜び」という小説を書いて芥川龍之介に褒められたと言うが、その同人誌を持っていないか、と尋ねられた。
芥川のことを井口先生の口からはっきり聞いて、私は大変驚いた。無論私は同誌を持っておらず、井口先生は、郷里の誰かが持っていないか探してあげましょう、と約束してくれた。芥川全集にそのことを書いた「一人の無名作家」という小品が載っていることは伯父宇吉郎の随筆で知ってはいた。改めて読んでみた。それによって大体の内容を知ることができた。それは次のようなものであった。
七八年前のことです。加賀でしたか能登でしたか、なんでも北国の方の同人雑誌でした。今では、その雑誌の名も覚えて居ませんが、平家物語に主題を取つて書いた小説の載つてゐるのを見たことがあります。その作者は、おそらく青年だつたらうと思ひます。その小説は三回に分れて居りました。
……今はその青年の名も覚えて居りませんが、その作品が非常によかつたので、今でもそのテエマは覚えてゐるのですが、その青年の事は、折々今でも思ひ出します。才を抱いて、埋もれてゆく人は、外にも沢山ある事と思ひます。(芥川龍之介「一人の無名作家」『芥川龍之介全集』第四巻、筑摩書房)
「三回に分かれ」とあるが、これは三節という意味らしく、その後に各節のあらすじが書かれている。「北国の方の同人雑誌」というのは、『跫音』であるに違いない。残念ながら作品名は書かれていない。これの初出は『文章倶楽部』一九二六年(大正一五)三月号である。
治宇二郎が中学を出てから六年後で、芥川が冒頭で「七八年前のこと」と言っているのと時間的に大きな隔たりはない。ちなみに『文章倶楽部』は大正時代から昭和時代初期にかけて当時の代表的作家の小品や短編小説、文壇の動向などを掲載した新潮社の月刊誌である。しかし、肝心の原文は依然不明のままである。
『跫音』を手に入れる外はないと思い、国会図書館や郷土の図書館、古本屋に当たってみたが、どこにも見出せなかった。そこで文学に造詣の深い井口哲郎さん(後に石川近代文学館館長になった)を再訪し、相談することにした。一九八五年(昭和六〇)頃のことである。