【前回の記事を読む】織田信長に豊臣秀吉…戦国時代に語られた「夢」の無常観
第1章 前提としての「無常観」と「アニミズム」
第2節 無常観と「夢の世」あるいは「夢幻泡影」
「夢幻泡影」という言葉は、『広辞苑』(第6版 二〇〇八年、以下同)では、「ゆめとまぼろしとあわとかげ。一切存在が実体を持たず、空であることをたとえる。また、人生のはかないたとえ」とある。
もともとは、「空」の思想を説いている仏典『金剛般若経』の「一切の有為法は、夢・幻・泡・影の如く、露の如く、また電の如し」という文言に由来を持つ。「一切が空であって実体はない」という禅的な悟りを教えるものだが、鎌倉期以降の禅宗の浸透と「夢幻泡影」という言葉の使用には関連があろう。
なお、臨済宗の僧侶で芥川賞作家の玄侑宗久はこの仏教的「夢」観の形成に、中国における『荘子』の影響、特に「胡蝶の夢」のそれを挙げている。そして「ブッダ」とは「目覚めた人」の意味だ、と語る(『やがて死ぬけしき』サンガ 二〇一六年)。
そして「涅槃」である死もまた夢からの覚醒を意味した。武士で俳文集『鶉衣』の作者でもあった横井也有(一七〇二~八三)の辞世句は「短夜やわれには長き夢さめぬ」であって、「夢」を辞世に詠み込む例は江戸から昭和の戦前まで実に多い。
なお反仏教の立場の江戸時代の儒者は、例えば室鳩巣(一六五八~一七三四)のように「天地開闢以来、人間社会には君臣・親子・夫婦間の倫理、仁義礼智信という三綱五常の道があって、今まで変わりがない。この世は実体があり、その道を実現すべき場だ。それなのに仏教はこの世を夢と見、仮と見て、真実と嘘を見分けられず、その三綱五常の道をゴミのように破棄するものだ」と非難した(『駿台雑話』一七三二年成立 岩波文庫 昭和17年 新妻訳)。
この「夢の世」観は、先述した『閑吟集』の「ただ狂へ」式な現世享楽主義をも生む。17世紀半ばの紀州藩二代藩主徳川光貞は、藩士・浅井駒之助の著わした『長保寺通夜夢物語』によれば、「世の中は夢じゃ夢じゃただ楽め」とばかりに、遊山・普請・能・鷹狩に明け暮れ藩政紊乱を引き起こしたと批判されている(柴田純「武士の精神とはなにか」『日本の近世3』中央公論社 一九九一年 所収)。
江戸後期でも京都町奉行与力の神沢杜口(一七一〇~九五)は「命の内は運有れば、此の上に菰を被らん(=乞食になる)も、玉殿に昇らん(=貴族になる)もはかられず(=予想できず)、どちらにしても夢の戯れ、ともかく戯あそべェ」(『翁草』「八十翁の言」『日本随筆大成 第三期』吉川弘文館 一九七八年 ⑥の第二十三巻 所収)と現世享楽的な姿勢だ(神沢杜口の死生観については本書第7章で後述)。