【前回の記事を読む】歴史人物の生き様から見える、日本人特有の思想「無常」とは
第1章 前提としての「無常観」と「アニミズム」
第1節 無常観と死の受容
蓮如の生きた時代の後、戦乱も治まり、中世的な「憂き世」の厭世主義から「浮き世」の享楽主義へと変化した近世初期にも無常観は日本人の心底から消えることはなかった。
当時流行した隆達節の「とにかくに人の命ははかなきに、契(=男女の仲)をいそげ夢の間なるに」とか「誰か再び花咲かんあたら夢の間の露の身」などといった歌詞(『日本庶民文化資料集成第5巻 歌謡』三一書房 一九七三年 所収)の中にも継続して表れている。
「いろはにほへどちりぬるを、わがよたれぞつねならむ、うゐのおくやまけふこえて、あさきゆめみじゑひもせず」は、五世紀の漢訳『大般涅槃経』中の「夜叉説半偈」を日本人向けに解説した歌だ。
すなわち「諸行は無常なり 是れ生滅の法なり 生滅滅し已わりて 寂滅を楽と為す」を意訳したもので、現代語に訳せば「もろもろのつくられたものは無常である。生じては滅びる性質のものであり、生じてまた滅びる。これらの鎮まることが安楽である」(中村元『仏教語大辞典 縮刷版』東京書籍④ 「諸行無常偈」の項)となる。
唐木順三(一九〇四~八〇)に言わせれば、「そういう無常の根本義を、おのが国語のアルファベットとした民族は世界に類例がないだろう」し、それほどに、「日本人の心情の奥に、諸行無常と共感するものがあ」ったのだ(『無常』筑摩書房 昭和39年)。
これまで日本人の宗教心形成や「死の受容」的態度に無常観が果たした面を見てきたが、別の一面、すなわち無常ゆえの「生」の愛おしさ、あるいは無常ゆえの美的感情(例:花火の「はかなさ」に対する美感)を無視するわけにはいかない。
例えば、坂村真民(一九〇九~二〇〇六)は次のように詠った。
「散ってゆくから 美しいのだ/毀れるからいとしいのだ/別れるから深まるのだ/一切無常/それゆえにこそ/すべてが生きてくるのだ」
(『坂村真民 一日一言』致知出版社 平成18年)
また、千葉県富津市のお寺の尼僧である安井陽子(旧姓)は、20代で病気になって道元禅師を知り、20年ほど経て参禅した際の「からだが抜けた」経験の喜びがきっかけで禅寺の尼となった。
「死というものが、いつも私の無常観のなかにそれがあるんです。生の裏にすぐ死でしょう。(中略)無常があるからいまが愛しくて、いまが大切なんですよね」と彼女は語る(横尾忠則『坐禅は心の安楽死』平凡社ライブラリー 二〇一二年)。無常観が「愛しい」今を精一杯生きる生き方のバネになる例だと言えるだろう。