明治時代の文学者・岩野泡鳴(一八七三~一九二〇)は、「今、ここ」の刹那充実のみを「生」とする「刹那哲学」を標榜したが、「人生は所詮迷ひである。寧ろイリュージョン(=幻影)である、生命とするところは最も根本的な最も現実的なイリュージョンを(つか)み得ればいいのだ」(「文学の新傾向」明治41年『岩野泡鳴全集 第十二巻』臨川書店 一九九六年)と書いた。

また後に論ずる岡本かの子には、「うつし世を夢幻(ゆめまぼろし)とおもへども百合あかあかと咲きにけるかな」(「『わが最終歌集』拾遺」『岡本かの子全集 第八巻』冬樹社 ⑦ 所収)の歌があるが、仏教の教養豊かな彼女の場合、イリュージョンとしてのこの世に咲いている確かな花の命に対する共感の歌だろう。

戦前の哲学者の一人、三木清(一八九七~一九四五)は「人生は夢であるということを誰が感じなかったであろうか。それは単なる比喩ではない、それは実感である」と記した(『人生論ノート』新潮文庫 ⑧)。

しかし他方で、「生命は虚無でなく、虚無はむしろ人間の條件である。けれどもこの條件は、(あたか)も一つの波、一つの泡沫でさえもが、海というものを離れて考えられないように、それなしには人間が考えられぬものである。人生は泡沫の如しという思想は、その泡沫の條件としての波、そして海を考えない場合、間違っている。

しかしまた泡沫や波が海と一つのものであるように、人間もその條件であるところの虚無と一つのものである。生命とは虚無を掻き集める力である。それは虚無からの形成力である」とも書いているところを見ると、人生を夢や泡沫のごとき、虚無的なものと感じつつ、人生の意味形成にこそ生の価値を見たのであろう。