監視社会の抜け穴
たとえ話
夕食を終えた後、浅草橋に向かった。上りの総武線は空いていた。三カ所空いている座席を見つけ、その真ん中に座ろうと歩み寄った。すると真横に人の気配を感じた。横を向くと、若い女性と顔が合った。しかも至極間近だ。甘い香水の香りがした。
いくら私が六十歳のおじさんとはいえ、さすがに引いてしまう。混雑時で焦っていたら、ぶつかっていたかもしれない。その女性も私と同じ席に目を付けていたようだ。だがその女性は直ぐ諦め、私に席を譲り、くるりと振り向き、甘い香りだけ残し、対面の乗客の間に座り込んだ。
ヒョウ柄の服にレザーの短いスカート、長い髪で細身の体型に似合っている。厚化粧だが、三十前後という所か。軽くつま先を重ね、直ぐさまスマホを取り出し、指をしきりに動かし始めた。
この時間、そんな服でのお出かけは夜の仕事か。お馴染みさんにでもメールを打っているのかな。そんな事を考えながら女性を見ていると、後ろの窓越しに、下り電車から沢山の乗客が吐き出され、整然と降り口の階段に向かっているのが見えた。
少し前まで私もあの中に居た。六十歳を過ぎても今はまだ雇ってくれる。しかし契約社員として、安い給料でアカウント無しの再雇用。入ってこない情報。後輩に使われ、増える雑用、あやふやな権限。その割にはきちんとしたノルマ。おまけにハラスメントだ。これでは良い仕事は出来ない、お客に迷惑が掛かる。それで辞めた。
今は失業保険を貰っているが、この年に成って、小さい時から憧れていた探偵に成りたいと思っている。その思いを大きくしたのが、送別会の時、馴染みのスナック【イレンダ】で起こった事件だった。今そこへ行こうとしている。だから好きだった朋チャンは居ない。