監視社会の抜け穴
たとえ話をほんとの話に
「美香チャン、あの日、成田さんと何か会話しなかった」
「したわよ、初めてのお客だもの、無視するわけないでしょ」
「それでどんな話をしたの。どんな印象を持った」
美香チャンが言うにはこうだ。初めてのお客だったから、愛想良く話し掛けたが、答えは生返事ばかりだった。なんとなく自分勝手な冷たい人かな、そう感じた。
初めは、お話しするのがあまり好きでは無いのかなと思った。ところが、キョロキョロしたり、入ってくる客を気にしたりして、話し相手を探している様にも見えた。良く分からない人だと思っていたら、突然私との会話に割り込んできて、少し驚いたという事だった。
「ところでさぁ、時間気にしている様に見えなかった」
「幸チャンもそんな事言ってたけど、私にもそう見えたわ」
「そうなんだよ。今思うとさぁ、何か時間ぎりぎりまで無理矢理話題を持ち出して、しかも帰る寸前、わざとアリバイを作った様な気がして。ただ言えるのは、犯罪に関してにわか勉強してるって事かな」
「私が言える事は、お客としてなら歓迎だけど、結婚は絶対しないわね。だって自分勝手に見えたもの。幸チャンとならしても良いけど」
「どうしてそうやって、人の心をくすぐるかなぁ。明日もまた飲みに来ちゃおうかなぁ~」
話が楽しくなってきた。そこへヘルメット姿で、後ろに大きなバッグを背負った男が近づいて来た。夜の酒場に不自然な格好、ナイフでも持っていれば明らかに強盗だ。私は思わず引いてしまった。ところがなんと美香チャンの顔はにこやかだった。そして手招きしながら、
「ここ、ここ、ご苦労様」
ヘルメットの男はカウンターまで来て、バッグを開けた。すると中から出てきたのは、パックされた料理だった。
「何だ幸チャン、ハオチー知らないの」
確かにバッグに大きく『HAOCHI』と書いてあった。良い名前だ。美味しいは中国語で好吃、ピンインはhaochi。中国語を勉強した事の有る人なら知っているが、中国語の発音はアルファベットを使って表記される。
これが今人気のデリバリーサービスか。使った事は無かった。ハオチーはスマホアプリで簡単に注文出来る。注文が入ると、登録しているハオチー員に連絡が入る。ハオチー員はレストランから料理を受け取り、注文者に届ける。
ハオチー員は社員でもアルバイトでも無い。専用バッグを買い、個人事業主と成る。だから自分の好きな時間に、好きなだけ働けば良い。ハオチー社は報酬を払うだけで、労務管理や社会保険など、社員管理の煩雑な業務は要らない。
「ここでは本格的な料理は出来ないでしょ。中には居るのよ、お腹が減ったって煩いお客が。そしたら折角飲みに来てくれたのに、直ぐ帰っちゃうじゃない。そういう時、ハオチー使うのよ。有名なレストランからも料理が届くから、便利よねぇ~。お客も帰らなくて済むし、待ってる間や食べてる間、うちのお酒も注文してくれるでしょ」
私はハオチー員とその大きなバッグに、目が釘付けに成っていた。そして頭の中の私が、(成田さんはバイクが趣味じゃないか。いける、いける、これならいけるかも)そうささやき出した。