【前回の記事を読む】教育者に「やらされている」子どもが持てる力を発揮するには

長所を認める省エネ教育

えてして、教育者と名のつく人は「人に教えてナンボ」、「人を正してナンボ」と考えている人が多いですが、私の思う「教育者」はそうではないと思っています。前述の教育者は、その人物の「良いところ」より「悪いところ」に目が行き、ついついそれを正さなければいけないと意気盛んに関わろうとします。

それで良い結果が出ようものなら、「私が教えてあげたから……」「私が教育したから……」と、声に出す出さないは別として、そんな雰囲気がそこら中に漂います。教育者としてそれが本当の値打ちなのでしょうか? 私はしばしば疑問に思ってきました。

確かに、教育者の値打ちは、「結果良ければすべて良し」という部分がなくはないでしょう。しかし、もっと大切なことは、その「子ども」が「人」として育ったかどうかなのです。結果だけ良くても、その結果が次にその教育者がいないところではその良さが出なかったとすれば、それは「人」として育ったことにはなりません。ですから、私が薦めるのは、「子ども」の短所を見ることも大切ですが、それ以上に「長所を認めましょう」ということです。

「子ども」が本当の自分の良さを認められれば、そこから自らの足で歩み始めようとします。ただし、これにはそのまま順調にいくパターンもあれば、何度か失敗、挫折を繰り返すパターンもあります。しかし、いずれにせよ教育者が関わるのは最初のキッカケだけで、あとは見守ります。失敗を突き詰めて修正していく教育よりはよっぽど効果的だと思います。

この教育のもう一つの良さは、「子ども」との良き関係が築きやすいということです。当然のことですが、他人の短所を見つけるより長所を見つけるほうが楽しいですし、それがうまく見つかって認めることができたときのほうが、短所を正されたときよりも「子ども」の気持ちは何倍も明るいはずです。

私も、短所は修正する必要がないとは思っていません。今修正しないと「大きな過ちに発展しかねない」ということもありますし、そんなときは厳しく修正することも必要です。しかし、それを自分の教育の主流にしてほしくないと思うのです。いくら教育しても、自らの態度を修正しようとしない「子ども」もいるでしょう。二、三日前に深く反省したはずなのに、また同じ失敗をする者もいるでしょう。そんなときはその短所にしか目が行かないのもわからないではないです。

ですが、そんなときこそ「なぜそうなるのか?」について少し視野を広くして、あわせて「長所」にも目を向けてください。そうすると、「こんな良いところがあるのになぁ」とか「なぜその長所を生かさない」と、少しその「子ども」の見方が変わってくるはずです。そういう見方に変えた上で、改めて目の前の問題を考えてみてはどうでしょうか。

教育の基本は、その「人」を愛おしく感じられる一面を見つけられるかどうかです