【前回の記事を読む】もはや時代遅れ…子どもの気持ちを振り回す指導者を一喝
「子ども」の「心の顔」
「子ども」に接する際、教育者はどこ(何)を見て教育すれば良いのでしょうか? 普通はその態度や言動ということになるのでしょうが、私はもうワンランク深く考えて、その態度の奥にある「心の顔」を見る必要があるのではないかと思っています。
確かに「子ども」の行動には、「何となく」とか「何も考えず」というものが多いですが、それでも、そこに行き着くまでには何らかの「心の顔」があるはずです。
その行いがたとえ正しくなくても、また、教育者の期待にそぐわない結果だったとしても、まずはなぜそうなったのか、そうなってしまった原因は何だったのか? それを追求する必要があるのです。
ただ、その追求に対して安易に結果を求めてはいけません。「あんなことをしたのはこれが原因かもしれないし、あれが原因かもしれない」、「何も考えていないようだがなぜそういう行動になるのか」、「これだけ言ってできないのは何か伝え方に問題があるのではないか」などなど。より深く、「子ども」の態度や発した言葉に教育者なりの課題を見つけ、それを追求することが大切です。
そして、その課題を解決するためには「子どもの心の顔」が正しく見えていなければいけないのです。何が正しくて、何がそうでないかは、教育者一人一人で違うだろうし、場面場面で変わってくると思います。しかし、その一つの基準をあえて言うなら、教育者が課題を解決するために教育したときに、その「子ども」の態度が強制ではなく自然と良くなった場合は、「その判断は正しかった」と言えるのだと思います。
「心の顔」を見た教育は、わくわく感に満ちあふれます