三年間の愛情

孔子は弟子たちと対話する時には、いつもにこやかで、温和で、かたくなにならず、のびのびと接しながら、対話を楽しんでいました。そして日常の生活をとてもくつろいですごしていました。そして難しい研究ばかりしているのではなく、文化芸術を愛し、詩を読み、音楽をきいて、その感動を弟子たちと分かち合っていました。

(さい)の国をおとずれたときなどは、数ヶ月にもわたって、斉の国のあちらこちらで演奏される素晴らしい曲の音色に感動し、食事の味も忘れるほどでした。歌の上手な歌手がいると、何度もその歌手の歌をきいては、自分でもその真似をして歌の練習に励むほど、音楽が大好きでした。

孔子は、文化芸術を愛する一方で、礼儀(れいぎ)礼節(れいせつ)をとても重んじていました。家族が病気で亡くなった時などは、特に悲しみに暮れている親族の方々には慎重に気をつかい、最大限の礼儀礼節を持って接しました。そして弟子たちには、もし自分の親が亡くなった場合には、その死を悼み、三年の間は喪に服すべきだと指導していました。

弟子の中でも、特に口が達者で、理屈は立派だけれど、なかなか行動に移せない弟子の(さい)()は、ある日、師匠に理屈っぽく尋ねたのでした。「三年間も喪に服するのは、ちょっと長すぎるのではないでしょうか」と疑問をぶつけてみたのです。

「三年もの間、勉強もせず何もしなければ、せっかく身につけてきた知識や礼儀作法も、どんどん忘れてしまうかもしれません。作物が実ってから一年の終わりに枯れるのを考えると、一年でひとめぐりですから、喪に服する期間も、それと同じように一年くらいで十分なのではないでしょうか」と尋ねましたが、孔子は信念を曲げませんでした。

「親が死んでから一年ほどの短い期間で、元の生活に戻るということが、君にはなんともないのか」と逆に孔子が宰予に問いただしたところ、宰予は意地をはって、「自分はなんとも感じません。やはり一年で十分だと思いますが」と言い放ちました。

孔子は言いました。

「君自身が一年でいいと言うのなら、それはそれでかまわない。しかし私なら、一年を過ぎても悲しみは和らがないだろう。おいしいものを食べても、そのおいしさを感じないだろうし、音楽をきいても楽しい気持ちにはならないはずだ。家にいても悲しみを感じ、心穏やかにはならない。すくなくとも、私には悲しみを克服するのに三年はかかる」

孔子がそのように言うと、宰予は部屋を出て行きました。宰予が部屋を出て行った後で、部屋に残っていた弟子たちに言いました。

「なぜわしが三年にこだわるのか、その意味するところを教えよう。子供が生まれると、親は三年間は抱っこしながら世話をしなければならない。おむつをかえたり、お乳を飲ませたり、すべては親の懐の中で大事に育てられる。しかし三年経つと、子供も親の懐から離れて自分で立って歩き出すようになる。親が懐で大事に育ててくれたその三年間を思うなら、その恩を仁の心でありがたく感じ、その恩に報いるのに三年は必要なのだ。

宰予とて、その三年間は親から十分に愛され、親の懐で育てられたはずだ。仁の心があるなら、その三年間の愛に想いを馳せるべきだろう。宰予にはそれがわからんようだ。まだまだ修行が足りないのう、宰予は」

その場にいた弟子たちは、孔子の教えの背後にある、思いやりの深さや愛情に感服し、三年間の意味を十分に理解したのでした。