【前回の記事を読む】「つつましく暮らす」日常生活で孔子が表そうとした仁の心とは

生活の中で実践する

弟子の(がん)(えん)は、孔子(こうし)の門下生の中でも一番弟子と言われるほど優秀でしたが、孔子の生活ぶりを見て、自分も見習って無欲な生活を心がけていました。

食事はいつもお茶碗一杯だけのごはんと、お椀一杯だけの飲み物で、狭く小さい家に住んでいました。ふつうの人では、とてもたえられないほど貧しい生活でしたが、顔淵はむしろそのような、つつましい簡素な生活に幸福感を感じてさえいました。

孔子は、贅沢をしようとしない、謙虚で無欲な顔淵の生活ぶりを見て、弟子たちの前でも、つねづね顔淵を次のように評していました。

「顔淵とは、毎日のように朝から晩まで議論するのだが、私の言うことにまったく反論しようともしない。いつも無口で、まったく理解していない様子は、一見すると、とても利口そうには見えないし、むしろ、とても愚か者にすら見える。しかし、実際にはその正反対で、彼の生活ぶりをよくよく観察していると、自分の生活の中で、すべてを実践しようとしていることがよくわかる。無欲で思慮深く、とても謙虚で、生活や行動の中で徳のある生き方を実践しようと努めている。なんと賢く、立派なのだろう」

同じ門下生で、商才のある()(こう)も、顔淵の姿勢にはいつも感心していました。

あるとき、孔子は、子貢に対して、「君は顔淵と同じく、たくさん学んできたが、顔淵とくらべて、どちらがより学んできたと思うか」と聞いたところ、子貢は答えました。

「顔淵には到底及びません。彼は、一つの真理を聞くと、その中から十の真理を知ることができます。自分は一つの真理を聞いても、そこから、せいぜい二つくらいしか、真理を知ることができません」

孔子は、それを聞いて、自分の評価だけでなく、同じ弟子たちの中でも顔淵が尊敬されていることを知ったのでした。そして、そのように同じ仲間を評した子貢の正直さと、謙虚な気持ちを、とてもほめたのでした。