そんなハレンチを忌み嫌う南雲さんであるからこそ、ナイト・ナイトの活躍は彼女にとって喜びであった。この世からハレンチを撲滅することを悲願とし、世の男どもに「偏屈野郎」と罵られるナイト・ナイトの唯一無二のファンが南雲さんなのである。ナイト・ナイトが赤色一色のスーツを着ていることも、彼女に気にいられる要因の一つであったりもした。
赤い服を着て彼女に気に入られようなどセコイ魂胆だと風太は少しナイト・ナイトをひがむ。南雲さんの赤好き具合も少しばかり突出し過ぎではないか。しかし南雲さんがナイト・ナイトに惚れていないことは確実だ。何故なら風太は知っているのだ。
南雲さんは恋に落ちない。
風太はそれを、身をもって知っていた。
南雲さんの書く小説は動物または未確認生物や宇宙人と、人間の間に生まれる隔たりを描いた話が多い。それが彼女独特の語り口で話が展開していくため読んでいて飽きない。臨場感や高揚感があり、読者を物語の中へ引き込むのだ。ファンタジーものを除けば彼女の世界でも現実と同様に、決して動物が人間の言葉を話すようなことはない。
しかしだからこそ、人とその生き物の間にすれ違いが生まれ、失われていく信頼があったりするのだ。また、人間同士の争いも物語に深みを与える。その不思議な感情と言い様のない無情さを呼び起こすような彼女の小説と、それを書く彼女自身を風太はなかなかに尊敬していた。他の作家には見られない面白さがそこにあるのだ。
「今回の作品も初版から五千部、南雲さんももう一流作家だね」
風太がそんな風に褒めてみると「そんなことないよ、私はまだまだ」と彼女は謙遜をする。同じサークルにいた頃から彼女は謙虚さを持ち合わせており、その美しき乙女ぶりを発揮していたことを風太は思い出した。しかしハレンチを前にした時を除くのは言うまでもない。
南雲さんとの打ち合わせは風太にとってかなり気軽なものであった。彼女とはすでに見知った仲であるということに加え、風太が何か言う必要もないほど南雲さんはシッカリ者であるからだ。そもそも風太が何もしなくても彼女はヒット作を生み出すため、実力を伴わない上出来な経歴が風太の上に積み上がっていくのであった。
そのため、むしろ彼女の方が風太の心配をすることがある。「今日は遅刻しなかった?」「朝ゴハンはちゃんと食べた?」「副編集長には怒られなかった?」など、まるで母親のようなことを聞く。まあ、風太がよくサークルの集まりに寝坊で遅刻していたことを知っているので、それは当然かもしれない。母親の言うようなことを彼女が代わりに言ってくれるので、風太はホームシックにならずに済んでいる。
「それで、今度の新刊記念サイン会の話なのだけど」
サンドイッチを食べ終えて風太がそう話を切り出すと、南雲さんもようやく新聞を閉じた。そして甘ったるいに違いないコーヒーをすする。近くで見た所、シュガースティックの空袋は六本ある。糖分を摂取しすぎて太らないか心配だ。「余計なお世話よ!」と彼女は言わない。
「小説を書くには脳に糖分を送る必要があるの」と間違っているのか間違っていないのか判断しかねる言いわけをしていた。風太は話を続ける。
「サイン会の日に取材をしたいという依頼が文芸雑誌の出版社から来ているのだけど」
どうする? と聞く前に南雲さんは首を横に振った。
「やっぱりそうだよね」と風太は少し彼女から目を逸らす。
「ごめんね」申しわけなさそうに彼女が言うので、風太は少しきまりが悪い。別に彼女が悪いわけではないのだ、と言えなくもない。