実は恭平の前にも何人かの人材が組合対策にスカウトされ要職に就き、その誰もが尻尾を巻いて早々に退社していたことを、恭平は入社直後に知った。そのせいか突然の恭平の入社と専務就任にも、社員の反応は冷ややかで、「今度の専務は、何カ月で退散するか?」など、一部社員の間では賭けの対象にされている始末だった。

万鶴での恭平の出勤時間は、ひろしま食品よりも一時間早い午前四時と自ら決めた。

出勤した恭平は、八百坪の工場の隅から隅まで歩いて回り、一人一人の従業員と目を合わせて挨拶を交わした後、盛付け室の隅っこに位置する寿司場に立ち、稲荷寿司やバッテラ寿司を製造しながら、盛付けレーンの流れ具合に目を光らせていた。

盛付け作業がピークを迎える五時過ぎからは、三本あるレーンの何処かに入って盛付けを手伝い、パートタイマーの女性たちの何気無い会話に耳を傾けていた。彼女たちが囁く不平不満の声には、職場改善への小さなヒントが案外に隠されていた。

万鶴には老若を問わず百五十名を超える女性と四十名余りの男性が勤務しており、現場での主導権は女性たちにあるように思えた。万鶴の専務として、数多くの女性従業員に囲まれた毎日は、まるで女子高の教壇に立たされた新米教師か、あるいは百戦錬磨のママさんバレーの新米監督のように、常に戸惑いながらの挑戦と失敗の連続だった。実際に恭平は、女性中心の職場で働くことの難しさを日々実感していた。

例えば、常に一緒に働いているA、B、C、三人の女性がいたとする。三人はいつも一緒だから、当然ながら仲良しなのだろうと思い込んでしまう。しかし、Cが休むと、途端にAとBがCの悪口を言い始める。(あぁ、本当はCとは仲が悪かったんだ)そう思うのは早計で、Bが休むと、今度はAとCからBの悪口を聞かされる。同様にAが休むと、BとCとでAの悪口が始まる。

「ねえ、専務もそう思うでしょ」

誰かの悪口に迂闊に頷こうものなら翌日には、

「専務が、こんな悪口を言っていた」

と、トンデモナイ噂が工場中を駆け巡る。だから恭平は、人の悪口には決して相槌を打たず、悪口は必ず否定する習慣がついた。