第1回 世界ベーチェット病ロンドン会議で報告―世界の注目を集める
1980年ロンドンで第1回ベーチェット病国際会議がタイミングよく開催された。
当時ベーチェット病は日本に多数発症する風土病的疾患と考えられており、研究面でも日本は世界で群を抜いていた。私は日本人でただ一人座長に指名され、これら一連のデータを持って参加した。発表に対し、多くの質問が寄せられ関心の高さが示された。
発表内容は地元の新聞、研究誌でも大きく取り上げられ、久しぶりにいい仕事をした充実感を感じたものである。厚生省班会議では私共のデータがそっくりそのまま2年間の班として出した研究成果として扱われ、苦笑いしたものである。
1970年代は細胞性免疫班のリーダーとしては苦難の時期であったが、ことベーチェット病に関しては後世に残る仕事をさせてもらった。しかしこれら一連の発見は早すぎた。その後、30年間以上誰からも顧みられることがなく過ぎた。
ベーチェット病がリンパ球病であることの意味は関節リウマチの特効薬TNFα抗体(レミケード)を使った画期的な治療法の登場まで待たねばならなかった。レミケードがベーチェット病眼症状に卓効したのである。即ち、Tリンパ球をたたくとベーチェット病の眼症状が著明に改善したのである。これにより治療面からもベーチェット病とリンパ球の関係が明確にされた。
これら一連の研究成果から20世紀のリウマチ学をリードしたレジェンドの一人として評価されるにいたった。大学で研究者として残らなかった私としては面はゆい気分であったが悪い気持ちはしなかった。
関節リウマチ:膠原病の一つ。関節の滑膜に炎症を生じ長期的には関節を破壊する。自己免疫疾患とも言う。
ヘマトキシリン・エオジン染色:組織、細胞の基本構造を簡単に見るための染色方法。
とんでもない失敗
ベーチェット病の成果を英文で一流ジャーナルへ発表しようとした際、思いがけないことが起こった。当時東大卒の稲葉午朗先生が、「BEHCET́SDISEASE」という英語本を出版するので先生の仕事を英文でまとめてくれないかとの依頼があった。私は深く考えず「わかりました」と二編の英語論文をまとめて提出した。
論文は立派な本となり、関係者に配られ国会図書館にも寄贈されたが、そこ止まりであった。海外で出版されたとは聞いていない。
私は今回の研究内容をまとめて世界の一流ジャーナルに投稿するべく準備に取り掛かっていた。その際、ある先生から先生の論文はすでに本になっているのでジャーナルには投稿できませんよと言われた。考えてみればその通りで、ジャーナル掲載の件は没にせざるを得なかった。はめられたような気持ちで切歯扼腕したが後の祭りであった。
東大卒の先生のよくやる手で、言葉は汚いが、人の褌で相撲を取る手法にうまく乗せられたわけである。何とも浅慮の極みである
従ってベーチェット病の概念を根底から変えた私の業績は日本語で発表されたが海外には原著として出ず、今日まで埋もれている。すべてのベーチェット病の研究者は私の業績を百も承知であるが40年を経過して誰一人日本からこのような優れた仕事がすでに出てますよと海外に発信する人はいない。
逆に私が下野しているので自分の仕事のごとく言う人はいる。日本の研究者の多くは、同胞人の仕事は認めたくないのである。何とも寂しい。海外が認めれば日本が追認するという現象は言われて久しいが、このことは現実である。