5校目 東部地区の定時制高校

私の教員生活36年間の中で、後半の14年間は管理職としての時期に当たる。うち副校長時代が5年間、校長時代が9年間であった。その中で、私にとって、最も衝撃的だった時期が、定時制副校長時代の3年間であった。副校長時代後半の2年間は全日制の勤務であった。全日制へ異動した時、地獄から天国へと〝昇天〟したかのような錯覚に陥ったのを今でも覚えている。それほどまでに定時制副校長時代が、"地獄"の、そして"暗黒"の時代だったということである。

副校長に昇任~「もう戻れない橋」を渡る~

平成16年4月1日、辞令交付式が行われ、私は教育長から辞令を受け正式に副校長となった。会場は上野公園内にある東京文化会館だった。その日の朝刊には教職員の異動の特集記事が掲載され、改めて副校長としての自身の存在を認識することとなった。その日の天気はどんよりとした曇り空で、私の心境と重なるものがあった。

なぜなら、管理職という名の重たい十字架を背負わされたような気持ちであったからだ。そして交付式に臨んだ副校長たちは、式後、配属先の各学校現場へと放たれるのであった。言うなれば、戦地に赴く〝同期の桜〟といったところだ。だから、その時の私は重圧感と緊張感で、とても"陽"の気分に浸れるような心境にはなかった。副校長になった時、「もう戻れない橋」を渡ってしまった、と思った。

そして副校長席にあった"パンドラの箱"〈注1〉を開けてしまったその瞬間から、これまでの教員人生で経験したことのないような様々な"災い"が、私の身に次から次へと降りかかってきた。そして、その苦しみから逃れるために、「宝くじ」を当てて逃避することを真剣に考えた時もあった。

それほど苦しかった時代、それが定時制副校長時代である。そこで起きた出来事は、墓場まで持っていかなければならないこともあり、そのすべてを詳らかにすることはできないが、ここでは、その一端をお話ししたいと思う。

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〈注1〉「パンドラの箱」ギリシャ神話。ゼウスがパンドラに持たせた災いの詰まった箱で、好奇心から蓋を開けた途端、あらゆる災いが地上に飛び出てきたという話。(出典:「デジタル大辞泉」より「パンドラの箱」参照)