「子ども」に任せる教育力
小学生の低学年ぐらいではまだ難しいかもしれませんが、小学生でも高学年以降ぐらいになると、少しずつ「子ども」に任せる教育が必要になってくると私は考えています。
そもそも日本の義務教育九年間は社会で生活する最低限度の知識と教養、身体づくりと心づくりを行う場だと思っていますので、義務教育最後の一年ぐらいになると一日学校で教師の手を借りずとも自らが判断し行動できるようになることが理想だと思っています。
つまり「教師不在」でも「子ども」だけで自治活動できる力を身につけさせたいのです。
ところが、教育者のなかには義務教育の最終場面になっていても「手を貸す」、「口を出す」、「指示をする」という「子ども」が自立できにくい教育をしている人に出会います。
気になるときにはその教育者にその場で私が助言するのですが、一度身についたこういう感覚というのは、なかなか変えられるものではありません。
私が、さまざまな場面で「子ども」に任せる教育をしていると、「それは『子ども』に丸投げする教育だ」とか「教育者が関わらなかったために子どもが失敗したらどうするんですか」といった意見やメッセージをいただくことがあります。
私としては、それはまったくの勘違いだと思っています。
「丸投げ」とはすべてを「子ども」にさせておいて、教育者は一切関わらないというのがそのニュアンスだと思いますが、「子ども」に任せられる教育は「一括教育」で指示を出して全員に同じような教育をするよりはよっぽど一人一人を見る必要がありますし、「失敗したら……」というのは、逆にわざとさせることはないとしても、「失敗をさせられない教育」が「子ども」にとっては不幸なことなのです。
「失敗」したときの「くやしさ」「みじめさ」「落ち込み」という感情は「子ども」の時期に経験していかないといけないことですし、失敗経験のないまま社会に出て行くと、とんでもないことになるでしょう。
私は「子ども」には自立してもらわないと困るし、他人を頼ってでしか生活できなくなるように教育してしまうのは「教育の罪悪」といってもいいくらいのことだと思っています。
ですから、「子ども」に任せられる教育が大切なのです。それが「子ども」の「人」への成長につながっていく大切なものだと確信しています。
教育者の本当の優しさは、直接的でなく、間接的に伝わるものである