「子ども」の新芽とは?
教育する立場で「子ども」を見るとき、一体「子ども」のどの部分を見て教育するのが良いのでしょうか?
植物であれば、新芽が出れば新たな成長を直接感じることができますが、こと「子ども」となるとどこを見てその新芽を感じ取ればいいのでしょう。
これはとても難しい課題ですが、その新芽が感じられないと教育のあり方というのが見えてこないのも事実です。となれば、教育者各自の目線で新芽を見つけるしかありません。
私なりには、「子ども」の新芽とは「できなかったことができたとき」というのが一番妥当に感じます。しかし、これを見極めるのは簡単なようでとても難しいことです。
「そんなの見てればわかるでしょう」という人もいるかもしれませんが、教育の効果が一番上がる「新芽の出たて」をピンポイントでつかまないと効果は半減します。
新芽が出てしばらく経ってからそこを教育しようとしても、かえって「子ども」との間に「不信感」を招きかねないことにもなります。
「子ども」自身がまさしく今、「できるようになった」、「わかるようになった」というポイントを見逃さず、褒めたり、認めることがその教育効果をより一層高めることに繋がります。
「子ども」が自然な姿のなかで、教育者は「新芽ポイントをしっかり見届ける」というのが理想なのかもしれません。こうした新芽のとらえ方がピンポイントでできるようになると、その後の「子ども」はスクスクと育ち、やがては大きな花が咲き、実を結びます。
それだけ新芽を見る目はとても大切なのです。教育者のみな様には、いかにしてピンポイントで「子ども」の新芽を見届けられるか。
自らの「子ども」の見方に磨きをかけ、一人でも多く、一回でも多く「子ども」の充実感に満ちた笑顔に出会ってほしいと思います。
「子ども」は丹精込めて育てていれば、しっかりとした新芽を肌で感じることができる