【前回の記事を読む】「見くびられたものだ」遂に出陣、敵方の将は名も知らぬ若造!?

義仲と行家

養和元年(一一八一)閏二月、清盛が他界した。諸国では平家を討ち倒し、その配下から自立しようとする者が出てきた。その中であの行家が、三河・尾張で得意の弁舌を振って勢力を集め頼朝からは独立した一派を作った。

一方、平家は清盛の遺言『頼朝の首を我が墓に掲げよ』に応えるべく、清盛の五男重衡を大将とする軍を発した。三月平家側は墨俣川右岸に陣を張り行家軍五千騎と対峙した。行家軍は頼朝の先陣に見える。つまり、この軍が勝っても負けても頼朝には不都合となるので、千騎を送り援軍にしようとした。

この援軍の将を誰にしようかと迷っていると、義経の同腹の兄円成(幼名乙若)が思いもよらずに飛び込んできた。円成は頼朝の勢いを聞いて寺(叡山の八乗院)を飛び出してきたのだ。義経と異なり武芸の修練に励んだことはなかった。ただ、自分が源氏の一族であることは忘れず、異腹ではあるが兄の頼朝の勢いに乗ろうとしたのだ。

「円成、よく来てくれた。覚えておるまいが、叔父である新宮十郎行家殿が墨俣川を挟んで平家と対峙しておる。急ぎ援軍を送りたい。そちにはその大将として早速ながら出陣してもらいたい」

「はい、早速のお引き立てありがとうございます。それにつき一つお願いがございます」

「なんじゃ、申してみよ」

「はい、私はもう僧ではありません。出立に当たって武者の名が欲しいのですが」

「では円成の成を源家伝統の義に変え円を遺し義円が良かろう」

「なるほど、ありがとうございます。義円たった今出立いたします」

行家は義円を迎えて「わしが行家である。助勢大義」

「叔父上。私は源氏嫡流の兄頼朝公の代官です。指揮は私が取ります」

「千騎は有り難い。しかし、この軍はわしが集めたもの。義円はわしの指示に従え」