【前回の記事を読む】物音と会話で違う?知られざる聴覚の情報判断のメカニズム
聴感覚と注意
ところで、さきほどの初期選択か後期選択かについての議論ですが、たくさんの外界の情報をすべて処理することは難しく、その中から重要な内容を優先的に選択することが注意機能の目的の一つとした場合、その重要度を評価する際に、そのポイントはどこにあるのかということになると思います。
重要度(優先順位)を評価できるところまで処理された時点で、必要なら注意による選択を受けるということとなり、このポイントが初期なのか後期なのかということとなるでしょう。言語による音声の場合、例えば男性の声か女性の声かという判定だけでは、優先度評価の目的に応じられないようにも思われ、その音声の内容についての(ある程度の)分析、処理のあとで注意が向けられると考えるのが妥当かと思われます。
もちろん、どのポイントで注意を向けるのか、注意が向くのかは個人差があるように思います。また、意味処理には水準(レベルまたは段階)のようなものがあって、どの水準まで処理されれば注意を向ける指標になるのかについても、やはり個人差のようなものがあるかもしれませんので、一概には言えないようにも思います。
ちなみに、音声内容の個々の言葉の意味がわかっていなくても(個々の言葉の意味処理がされていなくても)、その音声(全体)の大雑把な内容や、音声が発せられている状況などがわかる場合もあります。
例えば、駅の構内に次々と流れる、駅員さんによる電車の発着などに関する情報のアナウンスや、道の駅などのトイレの付近で流れる「トイレ音声案内」など、その発話の言葉そのものは(ほとんど)認識されていない状況であったとしても(たくさんの電車が発着するような場合や、トイレでいそいでいるときなど、個々の言葉の内容の分析、理解まで至らない場合もあると思いますが)、それらが何らかの説明のアナウンスであることはわかります。
また、数人の若者が会話していれば、その具体的な内容はわからなくても、「よく若い方がするような会話」がされているという認識ができます。つまり、音声中の個々の言葉の意味処理がされていなくても、それが発せられている音声の感じから(感覚的に?)、それがどのようなものであるのかがわかるのです。
この認識も一つの意味処理に基づいているといえるかもしれませんが、個々の言語の意味処理はされていない段階での認識です。この段階で注意を向ければ、言語的な意味処理がされていない段階で注意が向けられたということになります。ですので、言葉であっても、注意が向けられるのは言葉の意味処理がされてからとは限らないといえます。
ここで、前述のカクテルパーティーのところでも申しましたが、種々雑多な音声が聞こえている中で、誰かが急に「自分の名前」を言ったとした場合、もちろんこれが本人にとって重要な情報であることは確かですが、それだけではなく、自分の名前を言ったのは誰なのか、なぜ名前が出てきたのか、同姓同名の人のことなのかなど、いわばその発語(自分の名前)に対しての、関連する内容の意味的な分析を目的として、すぐにそちらに注意が向けられるということとなると考えられます。
この際の順序に関してお話しする前に、ミスマッチ陰性電位についてお話しいたします。