【前回の記事を読む】目的地への飛行機がなく軍人たちに助けられるが…さらなる災難
二週間の滞在しか許可しない米国
コロンビア(ボゴタ)→米国(ロスアンジェルス)一九七三年三月一九日
昨年の十二月十八日にロスアンジェルスを出発した、Eさんとの二人の三ヶ月間にわたる中南米旅行を終えて米国へ。ボゴタからの飛行機はメキシコシティに立ち寄った後、二十四時に無事ロスアンジェルス空港に到着。入国審査で五ヶ月の滞在を希望したら、旅行目的、所持金、前回の滞在期間中(一九七二年八月~十二月)の行動について詳細に質問される。
そして社会保障番号を取得し、カリフォルニア州の運転免許証を所有していることが判明してしまったために、二人だけ残されてすべての人の入国審査が終わった後で再尋問。社会保障番号は米国の国民背番号制の一種で、給料の支払い、税金の支払い等がこの番号で把握されるので(雇用者は給料を支払う時はこの番号と支払額を国・州に届けることとなる)、この番号を取得していることは外国人旅行者でありながら米国内で不法就労していることを示唆している。
三人の係官から質問攻めにされる。すべての質問にあやふやな答えしかできないために、米国への入国は許可されたが二週間の滞在しか許可されない。滞在の延長を希望する場合は社会保障番号カードを持ってロスアンジェルス市内の入国管理局に出頭するように言われる。さらに、入国カードには社会保障番号カードを保有していると記載されている。これでは滞在延長はどう考えても無理である。
ロスアンジェルスに帰った後は、ロスアンジェルスの日本人経営のお菓子屋で一緒に働いていたK(彼は岐阜の和菓子屋の息子で本職が和菓子職人でここロスに働きに来ているため正規の就労ビザを持っている)の三人で新しく買ったワゴン車で三ヶ月間の北米旅行をする予定だった。しかし、米国滞在が二週間しかなく、その延長も困難な見通しなので、いっそのこと北米旅行をあきらめてこのまま欧州に行ってしまおうかと、Eさんと二人で話す。
税関での荷物検査を終えて空港を出たけれど、到着便の変更をボゴタから連絡していたのにKは迎えにきていない。電話をするとすぐ来るという。Kが来るのを待つ間に雨になり寒くなってきた。短い滞在しか許可しない米国の冷たさ、尊大さが雨の音と風の音とともに体の中を吹き抜けていく感じがする。国家の前にはなんとも卑小な個人であることか。そして、金を持っていないことはこんなにもみじめな思いをするものか。
Kはわれわれ三人の金で買った北米旅行用のワゴン車でやってきた(この車は、当時日本でヒットしたソルティ・シュガーの「走れコウタロー」にかけて、後で「コウタロー」と命名した)。製造後三年の六十九年製の千五百米ドルのフォルクスワーゲンのワゴン車だ。すばらしい車だ。