真理の発言を聞いて、来栖は少し羽目を外し過ぎのコメントかなとは思った。
しかし音楽を鑑賞してからその印象を語る場合、衒学的な言辞を弄するよりも、音楽の素人ならば素人らしく真理のように直截に音楽が自己とどのようにつながったかということ、そして音楽に共鳴した自己の心情をどのように表現できるかというところだけを率直に語ればいいのだとすぐに思い直した。
音楽作品だけに集中して、正しく解釈したかどうかということなど二義的な問題に過ぎないことだろう。それどころか音楽を正しく聞いて正しく理解するという考え方そのものが全くナンセンスなのかもしれない。
それともいつもの常で、真理のこととなると何がなんでも贔屓目に見てしまう気持ちがこの場合にも出てきたのかもしれない。彼は彼女のこととなると甘ちゃんで、脂下がった受けとめ方をしていると少しは自覚している。葛城の顔つきからも同じような思いをしている様子が分かった。
この時を境にして来栖は『コケティッシュな真理』も彼女の素顔を表しているし、同じく『素直で率直な真理』も彼女の本質の一部をついているというイメージを持つようになった。それと同時に真理への対応で葛城と共有しているものが次第に増していくような気になる。
あばたも笑窪で、葛城も含め二人共に少し真理にのめり込み過ぎて彼女をたてまつってしまっているようだと、来栖は葛城の気持ちまで分かったつもりになっていた。