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真理との出会い
三人共に居合わせた例会で、シェーンベルクの『弦楽四重奏曲第四番』が演奏されたこともあった。その時には意外に話が弾み、談論風発とまではいかないまでも三人は活発に意見を言いあって議論した。曲そのものと当日の演奏につき真理がいち早くコメントし、それに葛城が続いた。
「何だか明るいタッチの所もあり、暗くて人を打ちのめすような所もありで、わけのわからない所が多い曲だな、というのがわたしの感想。でもそこに魅力がありそうだとも思う。何回か繰り返し聴いたりしてると、何となく合いそうな感じもするわね。今日の五人の演奏家の人たち、合奏しやすい曲なのかな、上手に合わせていたようだし、聞き続けると気に入りそう。
でも演奏前の短い解説によるとこの曲の表題が『浄夜』でしょう、聞き取った感じの中身にこのタイトルがどうしても私には何かしっくりこないというか……御二人さんのほうは清らかな夜というか、そんなイメージ湧いてきました?」
「確かに真理さんの言ってる印象だけどね、同じように僕もこの標題音楽の『浄夜』という曲のタイトルがしっくりこないな、という感じはあったね。
それと関係ないんだけど、シェーンベルクをさっき聞いて、それからこのバーで真理さんのコメントを伺ってるうちに、シェーンベルクとクレネクの論争をひょっこり思い出したよ。
シェーンベルクについてはいろんな逸話があると思うんだけど、僕にとって印象に残ってるのはこれだけでね、クレネクが駆け出しの頃だと思うんだけど、一般受けはしないのにもうウィーンの専門家の間では高く評価されるようになっていたシェーンベルクを表敬訪問した時の話。
なんでもウィーンの古典音楽ではベートーヴェンとシューベルトではどちらが偉大かという話になったんだね。まあモーツァルトも出てこなくてこの二人が比較されるというのがどうも変だなという感じがするんだけど、もしかするとウィーン・ロマン派の音楽家の中ではどうだとか、別の限定での話だったかも判らない。ここのところはちょっと僕の記憶にも曖昧なところがあるかも知れない。
話を戻すとね、この比較なんだけど、シェーンベルクは即座に、『当然ベートーヴェン!』ということで、それに対抗してクレネクのほうは誰が見ても負けちゃうと思えるシューベルトを強く推したらしい。二人とも一歩も引かず、延々と議論したというんだね。
面白い逸話だと思うけれど、今日のシェーンベルクでは真理さんの言うように標題音楽として見るとタイトル通りの内容があるのかどうかというと、僕もちょっと疑問に思ったところもあるよね。ただ後半の所で寄せては返す波のイメージが浮かんできて、そこからシェーンベルクは何か調和的世界というの、そのような世界を表したかったのかなというような、清められた夜という風なイメージとまではいかないけど、そういう印象は出てきたね。来栖のほうはどう?」
この頃は二人とも真理とまだそれほど親しい関係になっているとは言えない段階にあったと思う。しかし来栖も葛城も彼女を姓で呼ばず、『真理さん』と親しみを表す名前のほうだけで通し、彼女にとってのナイトの役割を気取っていた。