翌朝、このホテルの社長からホテルの概況説明があった。日中合弁のプロジェクトで十一階建て、客室数三六〇、中央にアトリウムがあり、擬古典式で中国風の屋根がつく。施工はフジタで竣工は一九九三年三月。南門外の周壁道路沿いにあるわけだが、この辺りは意外なことに集中暖房が普及している。

熱源は石炭で、西安では石油は不足しているので使わない。水源はこの北方を流れる渭水から取水しているが、このホテルは専用の浄水施設を持っているという話には驚かされた。推察すると、人口六〇〇万の西安市は慢性的に水不足である。渭水は黄河の支流だが見たところ天竜川の程度の川幅で、これでは足りない。

ホテルとしては渇水に備えて貯水と浄水の施設を完備していると見る。日本側の経営主は全日空であるが、概してこのホテルは良くできている。

西安は言うまでもなく約二千年の間、十一の王朝が都を置いた古都であり、以前は長安と呼ばれ、シルクロードの基点として国際都市の華やかさを持っていた。今でもその面影が充分にあり、海岸から一〇〇〇キロの奥地にもかかわらず、雑踏の中にエキゾチックな感触がある。

周囲一二キロの城壁は恐らく世界でもここだけに完全な姿で残っているが、城内の西北部にはイスラム教徒が三万人ほど居住していると言う。

午前中に南城外の大雁塔を訪れた。玄奘の仏典を収めるために造られ、わが国の聖徳太子の頃完成した古塔だが、石造りで法隆寺とは全く感じが違う。

足ならしに七層六四メートルの上層まで登った。この日は視界が悪く、塵でかすんでいるようだった。昼食は何と二十四種類の水ギョーザに挑戦したが、結果的には、腹の調子があと三日間おかしかった。中国人と食の関係については後ほど述べる。