【前回の記事を読む】【小説】新設された看護学校に招聘された女性の内なる決意
国田克美という女
国田が赴任した看護専門学校は、卒業までに四年間を要するため、昭和六十三年の最高学年の三年生まで約百二十人の学生が在籍していた。看護教員は四人いたが、そのうち三人の看護教員歴はこの学校に採用されてからであるため勤続二年。この三人は二年間の在職中に看護教員としての資格を得るための看護教員養成講習会の研修を六カ月間受けており、残りの一人は一年前に採用され今年受講予定であった。
ここでいう看護教員とは、看護師を養成する学校での生徒に看護学を中心として講義をし、実習などの教育・指導を行う教員のことである。看護教員としての仕事の内容は看護学生に主に基礎看護学、専門分野として精神、成人、老年、小児、母性の各看護学、統合分野の在宅看護論、看護の統合と実践などがある。
このような講義や基礎実習の指導を行う教員を一般に看護専任教員と呼んでいる。病院勤務の看護師は夜勤があることもあり、それと比較すれば働きやすい環境であることから看護師の中では比較的人気が高いとも言われている。
しかし、看護師の資格があれば誰でも看護教員になれるわけではなく、国が定めるいくつかの厳しい条件があるために、専任教員になろうとして応募する看護師は比較的少ないのが現状である。
厚生労働省の看護師等養成所の運営に関する指導要領についての専任教員資格は保健師、助産師又は看護師として五年以上業務に従事し、厚生労働省が認定した看護教員養成講習会の研修を修了した者は専任教員になることができる。また、専任教員の三年以上の経験を有すれば教務主任になることができる。
国田もこれに該当し、県庁医務課看護係に提出した履歴書では適格者として許可された。また、国田は大学卒で教員資格があることから全く異論はなかった。