【前回の記事を読む】「結局はみんな死んだんです」異国船座礁の顛末が語られる…
異国船難破
二
海難事故を起こしたのは、日本海沿岸では見たこともない三本の帆柱を持つ巨大な帆船である。三本の帆柱の一番太くて長いメインマストがねじ折れていた。船内は最下層甲板のオルロップ、主甲板のメイン、上甲板のアッパーと分かれ、メインの下にガンデッキと、四層になっている。
上甲板には船首楼と船尾楼があり、実際には五十人ほどしか乗っていなかったが、百五十人ほどが乗れる船足の速いガレオン船で、排水量は千四百屯あった。船は船首と船尾にそれぞれ四門、舷側に両測合わせて三十二門の大砲を備えて武装していた。元々はオランダの軍船だったのである。
後に、航海日誌から船名はパレード号、船長の名はブラウシュドとわかった。パレード号は商船をよそおって、東シナ海で中国船などを襲い、水、食料、積み荷を奪うなどしていた海賊船だったのである。
ブラウシュドたちがオランダの軍船だったパレード号に乗っているのは、自分たちの船が老朽化して、なんとかしなければと思っていたときに、マカオの港で停泊しているパレード号を見つけて、それを奪ったからである。
ブラウシュドは、パレード号の乗組員が上陸して船には見張り程度しか残っていないのを確かめると、手下に船を簒奪する手はずを指示し、夕間暮れを見計らって港に入った。それからの行動は速かった。パレード号に横付けし、見張りを海に落として船を奪い、港を出るときは、いままで乗っていた船に火をかけた。それ以来、オランダの軍船に追われているのだ。
座礁したときも、オランダの軍船に追われて日本海を北上し、逃げ切って反転したところで嵐にあったのである。パレード号が航行不能になったのは、突然の竜巻に襲われ、帆をたたむのが間に合わず、帆柱が折れてしまったからだった。
船はそれまでにも幾度も冬の激しい嵐にあっていたのだが、そのときのは違った。嵐になるのが急激だったのと、後ろから大きな竜巻に襲われたのである。それまで、波は大きくうねっているだけで、船は穏やかな風に乗って南に向かって帆走していた。それが、突然、強い北風に追いまくられ始めた。南からの暖かい空気が北の冷たい空気とぶつかって、急速に気圧がさがり、嵐になったのだ。
船は突然の風で帆を満帆に張らし、舳先を波に突っ込みながら南に向かって突進し始めている。船長のブラウシュドは、大揺れを始めた船の様子を見に甲板に出た。瞬間、大波が襲ってきて傾いた甲板を洗うように覆いかぶさり、甲板にいた水夫の何人かが波に足元をすくわれ、そのまま海に投げ出された。
「帆をたため」
一刻の猶予もない。ブラウシュドは伝声管に向かってどなった。飛び出してきた水夫達が、マストに登り、急いで帆をたたもうとしたときだった。一瞬、船は持ちあがって宙に浮き、次に叩きつけられるように海面に落ちた。後ろからものすごい勢いで大きな竜巻が襲ってきたのだ。