【前回の記事を読む】【小説】自責に駆られる夫。成りゆきに任せた結婚の残酷な末路

高梨との会話

「でも私がお会いした頃の奥さんは何か不満があるという風でもなく、むしろ満ち足りた日々を過ごしているといった雰囲気を持っておられるような感じでしたが……」

ここまで言いかけたところで、来栖は恭子が日々の生活に満足しているかどうかといった類の話をし始めたことで、またもや勇み足の発言をしたのではないかと思い当り、言葉を濁した。高梨から配偶者につきあまりに知らないことが多すぎるなどと訴えられて、ついうっかりと悪乗りした気分だった。

彼女は日常をどのように過ごしていたかといったことにまで言及してしまって、高梨が恭子との関係につき何か気づいたかもしれないと推し量り、彼は話を全く別の方向にもっていこうとした。

「先の話に戻りますが、奥さんは『展覧会には好みの絵を見て楽しめるし、喜ばしい気持ちになるから行くんです』とおっしゃってましたね。だから画家や絵を批判するようなことがあっても不満足とか嫌いとか、きつい言葉はまず使っておられなかったように思います。

特に西ヨーロッパとアメリカの絵画が日本で絵画展やオークションにかけられたりする時には、奥さんの話だと芸術ビジネスの業界の傘下に収められた形でしか取り扱われないようですね。公立私立を問わず普通の美術館や博物館が催す絵画展でも見に来る人をどれだけ多く動員できるかとか、ビジネスが運営の中心題目になっているという考え方ですね。

オークション業界ではもっと露骨だと思います。日本の顧客がまず間違いなく気に入るようなものしか展示されないし、売りにも出されないということだと思います。先に挙げたラファエロ前派ですか、これなども一九七〇年代後半にイギリスでルネッサンス張りに人気を博し、そのあとヨーロッパ各地でも人気が出てから日本でも繰り返し紹介されるようになったらしいですね。

これは私の受け売りの見方なんですが、ある意味奥さんの冷めた見方をよく表しているのかなという感じがしたのを、今思い出しました。強く批判されることがあってもそれは絵の評価ではなくて、ビジネス第一の業界に向けてのものでした。今になって奥さんの気持ちが少し分かってきた気がします」

来栖の話は恭子の語った内容を受け売りの形で紹介するという体裁だったが、多分に彼自身の創作話も入っていたのではないだろうか。いずれにしても、高梨は彼の話に全く乗ってこないままで、二人の間には手持ぶさたの沈黙が続いた。そして「今日は遠路はるばる来ていただき、どうもありがとうございました」という通りいっぺんの謝辞を以て高梨はその場の会話を切り上げてしまった。