恭子の配偶者との話し合いの後、来栖には一つのことだけははっきりとわかった。恭子が求めたものは性的欲求の充足、肉体の満足感というものだけではないだろうと漠然と考えていたこともあったのだが、やはり何か他の要素も入っていたようだ。
「体の満足」というようなものではなくて、むしろそれ以上に何かもっと別個のものを獲得したい、あるいは自身の信じていることの確証を得たいという要望というか、精神的欲望とまで言ってよいような気持ちを持っていたのではないかと想像するようになった。
考え続けて何とか言葉で表現しようとやってみても、恭子が欲していたものの具体的なイメージは湧いてこない。その後は思案することもやめてしまった。生前の恭子については少なくともある程度のことはわかっていると思っていたが、すべて覚束ない想像や推し量りから導き出していたのだ。彼女の夫同様、あるいはそれ以上に恭子という人間を理解するには甘すぎた。
高梨のほうは配偶者のことは結婚後も終始分からずじまいだったと率直に告白しているわけだから、彼のほうが単純に判ったつもりになっていただけ、より罪が深いといえる。これからは少しなりと努力して彼女の本当の姿を探し出さねばならないようだ。
本人がもうあの世の者であり、その人間の本性を今から探索するというようなことは滑稽で無意味な探究心ではないかと考えるのが常識だろうが、その時は本気でそう考えた。色んな記憶を無理にでも手繰り寄せることで、恭子について与り知らなかった側面を少しなりと明らかにすることが故人へ手向ける自分の功徳になるような気がしたからである。