惣右衛門が竹刀を引き、隅に控えていた重太郎に向いて、
「重太郎。お殿様のお相手をしろ」
と言い渡した。重太郎は名前を呼ばれて驚くとともに、素早く平伏して、
「ご容赦願います」
とはっきり断った。自分はまだお目見え前、それも身分が低い。お殿様相手にどうしろというのだ。
惣右衛門は門番からの連絡を受けて、義政が中屋敷にきて道場で汗をかいているから、良い機会と重太郎を道場に呼んだのだ。
「殿、この者は和木重太郎と申しまして、身分は低いながらも、しっかりとした考えを持って精進したる者です」
惣右衛門は江戸にいる藩士の子弟の消息を把握していた。彼らのなかには将来、藩を背負う逸材がいるとの思いがあったからである。
そのなかで、重太郎が文武の文を放棄して、武のために江戸に行きたいというのを知って、いまどき、面白い奴だと、美濃島道場を紹介した経緯がある。
ときどき、道場を覗いて様子を見ていたから実力はわかっているつもりなのだが、いま道場の隅に控えている重太郎が自分と呼吸を合わせている気配を知って、ちょっと試してみようと思ったのだ。
「大事ない。お前より強いかも知れぬぞ」
義政は初対面の若い男をぶしつけに見た。国元では剣術試合を催しているから、強い奴なら顔を覚えているはずだが、見たことがない。
磊落に、
「ハハハ、わしを試すのか、惣右衛門。お前が相手をしてやれ」と義政は言いながら、惣右衛門が引き合わせようとしているのがわかるから、どんな男か興味を持ち、見所に座った。
その様子から、重太郎は義政が身分の上に胡坐をかいている藩主ではなく、藩主として生まれたのはたまたまなのだという謙虚さが感じられることに目をみはる思いだった。