昼食をいただいた後、彼女のピアノ演奏を聴こうと、二階に上がることになった。
廉が先に立って階段に足を掛けたとき、後ろから和枝が言った。
「あれ、足しびれちゃった?」
何の曇りもない天真爛漫な響きだった。
「うん、ちょっと左脚が悪くてね」
廉は意外なくらいすんなり答えていた。
「花火みたいな柄の、その靴下いいなぁ」
「そう? ありがと」
「ポロシャツの襟を立てているのと花火の靴下が、きょうのおしゃれポイントってわけ?」
とぼけた和枝の質問に、階段を上がりながら思わず笑ってしまった。
ピアノに向かった和枝は、譜面立て越しに真っ直ぐ廉を見ていた。
廉の不安に気付かないふりをするのではなく、その目は「脚のことですか? 問題にしていません」と語ってくれていた。
ひと呼吸置いてショパンのバラード1番が流れ始めたが、廉の心が温かい涙で満たされる十分間だった。
夜になって友人宅をお暇し、七里ガ浜に帰る和枝を見送りがてら江ノ電鎌倉駅まで歩いた。
改札口を通り、振り返った和枝が「明日のお仕事は」と聞いてきた。
「えーっと、夕方五時出社で、仕事は午前二時半に終わるかな」
「へえ、モグラみたいな人生ですね~」
ニヤッと笑うと八重歯が覗いた。
和枝は翌日から豪華客船「飛鳥」の沖縄クルーズでピアノを弾く仕事が入っていたため、その帰りを待って一週間後に廉から電話をし、二人の交際は始まった。