そうして、砂を噛むような労働を終えて、自分の部屋に辿り着くと、ひたすら文学書や哲学書に没入していった。リルケ、カフカ、……、そして、ルカーチ、レーヴィット、クレラ、……と。私は他に自分の絶望から逃れ、自分の存在と時間を解消するすべを知らなかったのだ。

幸いなことには、私が移り住んだ学生街のアパートは、芸術家や哲学者を気取った学生たちの巣窟だった。彼らは長髪で髭を生やし、フーテンやヒッピイの恰好をして、学生生活の自由を謳歌かしていた。彼らは芸術家らしく努めて反体制的で、絶望や退廃を売り物にして恥じなかった。

私は、確かに、彼らの中に紛れ込んで、少しも遜色のない絶望者であり、哲学に溺れた変人であり、何よりも憂愁の孤独者だった。彼らの中にはそんな私に興味みをもってか、私の部屋に入り込んで、話し込んでいく者もいて、私もいつしかそんな彼らに気を許して、少しく付き合うようになっていった。私はそうして学校に行かない学生生活を送っていった。

そんなある夜、仕事を終えて家に帰り、部屋のドアを開けると、部屋の中は薄暗く、ガランとしていて、ドアのかすがいの軋む音が、冷たく心の空洞に響いてきた。私は立ち尽くし、部屋に踏み込めなくて、踵を返して、学生運動崩れのたむろする中野の飲み屋街に足を運んだ。

そこには私の経験してきた運動について吹聴する者たちがいた。私はそんな彼らと心情の共有を求めたのだった。

しかし、意に反して、彼らは妙によそよそしかった。のみならず、警戒心を露わにした。やがてわかってきたことは、彼らが自分では決して戦ったことのない傍観者であることだった。彼らはどこかで聞きかじってきた学生運動のエピソードをまことしやかに語り合っては酒を飲み、自分たちが権力に追われているという不思議な幻想を共有しては恋愛に興じていた。

中にリンチ殺人の犯人になったつもりの青年がいて、スナックのママさんに匿われて、狂言自殺を繰り返していた。彼はそれを真に受けて助けようとする者に、敵意を露わにして、挑みかかっていくような男だった。

しかし、考えてみれば、彼が大のリンチ殺人事件の犯人であろうはずがなかった。彼が余りにも深刻に演じて見せた悲劇は、誇大妄想の仕業でしかなかったのだ。