Ⅴ 彷徨カルチェ・ラタン
ほやほやの恋心を抱きながらカルチェ・ラタン(ラテン地区)界隈に出る。カルチェ・ラタンは、サン・ジェルマン・デ・プレと隣接していて、パリ大学(ソルボンヌ)が点在し、大学紛争の発祥の地でもある。かつてパリ大学ではラテン語で講義が行われていたことからカルチェ・ラタンと呼ぶようになったらしいが、素敵な響きを持つ地名だと以前から憧れていた。
私は大学から少し離れたこの辺りを歩くのは初めてで、絵葉書に出て来るようなさりげない街並みに心を寄せると、会えないリヤードがすぐ近くにいるような気がした。
そんな切ない思いを和らげたのは、この辺りは繁華街ではないため人通りが少なく、少し安心して歩くことができたことだった。洒落たウエディングドレスが飾ってあるショーウインドーでパリを実感し、お昼ご飯はカルチェ・ラタンのハンバーガーショップでとった。
決して感じの悪い店ではなかったし、日本人だからとぞんざいに扱われたわけでもなかった。しかし、店内はちょうど客がたてこんでいて、なかなか注文できず私はずっと待つはめになった。店のマスターは性格の良さそうな若い青年だった。
リヤードの店なら私の席が決まっていて、当然のように可愛い食前酒が出され、当たり前のようにグラスになみなみと注がれたワインが置かれ、何も言わなくてもすぐに彼が注文を取りに来てくれた。ここでも彼がいることの大切さや彼がしてくれた親切心を実感して、リヤードとは貴重な出会いだったと痛感せずにはいられなかった。
彼のいない寂しさに耐えきれず、ここでのご飯は早々に引き上げる。時刻はまだ午後二時半だ。しかし、もう何をすることもないと悟った私は彼のお店界隈をぐるりと散歩しようと決める。他にどこをどう歩いたらいいのかも考えが浮かばなかった。私の中で、サン・ジェルマン・デ・プレと彼とは一対になっており、どちらが欠けても、もはやパリの左岸ではなかった。