ここで、約500ミリ秒たってからでないと感覚意識が生じないということの理由ですが、おそらくこの約500ミリ秒の間に、その感覚情報が記憶情報(長期記憶)との照合などの処理を受け、この処理過程を経ることで、感覚情報として完成され、その完成された感覚情報が意識化(意識にのぼることを意識化と表現します)されるということではないかと考えています。
さらに実際にはこの感覚が完成(記憶情報との照合を経て感覚が完全に成立することをこのように表現しようと思います)した時点よりも約500ミリ秒前の、皮膚が刺激された時点(初期EPの時点)で感じられるという、主観的な前戻しという表現は、いかにもタイムマシンのようなもので時間的に戻っているような印象があります。
このことについての一つの考え方ですが、最初に刺激が脳皮質に到達した初期EPの時点で(頭部であれば10~20ミリ秒後、足であれば40~50ミリ秒後)、はっきりとした感覚意識ではなくても、何らかの感覚(これにより刺激の時間と場所の情報は提供されます)が生じていて、その後の約500ミリ秒間で、記憶情報との照合などを経て皮膚感覚として完成し(つまりこの時点でその感覚がどのようなものかが分析され明確なものとなるわけですが)、はっきりと明瞭に意識化され、さらにこの際、さきほどの初期EPが生じた時点でのはじめの感覚と、いわば統合されて、一つの感覚として意識されたということではないかと考えています。
この初期EPが生じた時点というのは、皮膚が刺激された(ほとんど)その瞬間ということとなります。もともと500ミリ秒間というのはほんの一瞬ですから、はじめの感覚と、次に完成した感覚とが、時間的にほとんど同時に感じられたとしても、おかしくはないように思います。これによって、皮膚が刺激された瞬間に感覚が得られたということとなるわけです(図表1)。
この節のまとめですが、皮膚刺激による情報が脳の感覚皮質に到達しても、すぐに皮膚感覚が意識として生じるわけではなく、意識化には500ミリ秒程度の脳の活性化が必要であること、にもかかわらず実際の感覚は刺激された瞬間として感じていることがわかりました。
このリベットによる知見は、他の感覚を考える上でも、基本となるものと思います。この約500ミリ秒間は、おそらくは記憶情報との照合を経たのちに意識化される(感覚として意識される)までの時間ではないかと考えられます。
だとしますと記憶情報との照合には前頭前野が関係していると考えられ、感覚意識が生じるためには、前頭前野との連携が前提となっているといえるのかもしれません。