忍びの一族、諸星家
家老の岩淵郭之進は抜け荷のことを新宮寺隼人から聞くと、早速、諸星玄臣に命じて、再度、勢戸屋を調べさせた。諸星玄臣は、身分は城の警護に当たる下級武士であったが、長年、岩淵郭之進の元で探索方を担っていた。
その馴れ初めは、諸星が元服して間もなくの頃、母親を病気で亡くして動揺し、何もする気が失せて放心していたことがあったときに、岩淵郭之進に旅をしてみろと勧められてからだった。岩淵郭之進が世子である義政の付き人になってから、義政の藩内の様子が知りたいと言う要望があって、人を探していた。それに諸星玄臣が選ばれたのである。
諸星玄臣は路銀も用意してもらって、藩内ばかりでなく諸国を放浪した。その間、見知らぬ人達との出会いを通じて、さまざまな刺激を受けた。生に疑問を持って戸惑っている人や、それから逃げている人もいる一方で、生きるためにただ懸命に働いている人たちがいた。
むしろ、そっちのほうが圧倒的に多く、生きるなんてなんてことはないとわかった。諸星は上を見ないで下を見たのだ。それで自分を取り戻した。
それ以来、諸星玄臣は乳兄弟の吉三とともに、薬の行商人になって藩内をくまなく回り、災害は言うに及ばず、稲の育ち具合、村の様子、噂話、不満などの話を集めては逐次報告している。
諸星家は、藩主の鷲尾家が戦国時代北陸の豪族であったときに、陰守として影の警護役とともに、敵陣の視察、野営地の選択、糧道や退却路の確保などの諜報活動をした家臣団の一つで、身分は低いが藩主家と直接話すことが出来た家系である。
太平の世ともなると、陰守のほとんどは無用となって、城の警護に関わる下級武士として勤めている。そのなかで、代々忍の技を伝えている一族があり、その元締めに当たる家が諸星家であった。
一族の子供は、北陸街道から忍田郡に向かう道が枝分かれするあたりの柴幡というところにある小さな集落に預けられる。そこは諸星一族が関わる土地で、一族の子供が修業をする場であった。修行のなかには、飛礫の秘術があり、それを会得するのが必須だった。河原から平たくて丸い石を拾い、障害物があっても弧を描かせて的に当てるように投げるのだ。