ここで牛頭天皇の登場です、日本では午頭天皇(ごずてんのう)、牛を午と呼び変えています、明らかに、真実を知られないようなわざとらしい間違え方ですが、牛頭天皇が正解です。
弓月の君が牛頭天皇ではないでしょうか? 頭にかぶる兜の形が、牛の角のようなヘルメットです、だからギュウトウです。誰もが、初めて見たときに、凄く怖かったことを、意味する牛頭の頭。この方が神功皇后の家来となり、大軍で三韓征伐をしたのなら納得です。
面白いので、もっと掘り下げたいのですが、ここはだいぶ、道がそれましたので、元の徐福に戻ります。
いろいろな古文書の徐福来訪の話では、まず九州に到着し熊野、東北地方まで、足を延ばして旅をした記述が残っています。その後、二度目の来訪では、富士山の麓で王国を築き、富士山の噴火で、居住地を無くし移動しています。富士の青木ヶ原樹海はその住居跡と言われています。
あれ? そう言えば富士山って、不死の山って読める、不死身の山なのでしょうか? がぜん、信憑性が湧いてきました。
では徐福はどこに行ったのでしょう? 古事記では神武天皇は、熊野に回って、長恒彦を撃退するとあります、う〜ん、徐福は、熊野に行ったのか? 熊野といえば、三輪神社です。山が御神体で有名ですが、それ以上は謎です。
私は、今度は、富士山の浅間神社の宮下家に伝承されている宮下文書を使って解くことにしました。
富士古文書(宮下文書)は通称「徐福文書」と呼ばれ、徐福が書き残し、長い間保管されていたと言われる書物です。一般には偽書といわれる書物です。今度はこれを使って解いていくことにしました。
宮下文書では、神武天皇は熊野の佐野王命(さののみこと)が、長恒彦兄弟の軍と戦い、長常彦を東北に逃がして、ウガヤフキアエズの皇太子、五瀬命が戦死し、佐野王命がなり神武天皇となったと記しています。そこには、ウガヤフキアエズ朝五十一代って書いてあります、竹内文書では、七十四代続いた謎の王朝です。
ウガヤフキアエズ? なんだろう、日本の天皇なの? 五十一代、七十四代って?
これからは、みなさまを夢の世界にご案内いたします。記紀ではウガヤフキアエズ天皇とありますが、ここからはウガヤフキアエズ王朝の話です、とても楽しい、世界を股にかけた大航海です。