第一章 天乃御中主
一 鸕鷀草葺不合尊
今度は紀元後二百年くらいの出来事で、弓月の君の来訪です。最近の研究では、弓月国は実在していて、朝鮮半島から来たという、昔の学説は覆され、中国大陸のキルギス付近にあった国であると、修正されています。
七千戸? 当時の七千家族と言うと、家族四人で数えて約三万人以上とか?
十万人? とか言われる来訪者です、
中国にある弓月の近くにあるのがキルギス国です。キルギス人は、日本人にそっくりな人々だそうで、海外では日本人は良くキルギス人に間違えられるそうですし、
弓月国でも、「山が好きな民は、ここに残り、海が好きな民は、日本に行った」という伝説があります、近くの土地には、ヤマト、ナラ、などの地名もあるそうです。
「ほうほう。これは何かありそうです!」
この時代、日本の天皇は「応神天皇」です、日本でも弓月からの民の来訪の記述があり、
応神十四年に来訪して天皇に仕えたとありますが、記紀には記述がありません。
そして最近日本のマスコミでも、「巨大前方後円墳で有名なモズ、古市古墳群が、世界遺産」になりましたが、
この話題の巨大古墳が造られた時代です。
巨大前方後円墳は、応神天皇陵から巨大になったとNHKで特集をしていました。それを見ていると、明らかに巨大化した古墳は当時の世界情勢に関係があり、大阪湾の開拓、大阪湾に到着する船から、見上げて巨大な古墳は威圧、威厳、大国の証明であり、我々は技術があり、攻めて来ても、強いぞ! と思わせるために作った建物だと言っていました。
それを見ていて、私が作るのだったら絶対にお城だな、と思いました。
これってお城の跡でしょう?
お城は石垣の作りだし、お堀もあるし、死んだら墓にしたんじゃないの?
丸い樽型のハニワを周りの部分に数千個も置いたそうです。それも「鉾と盾」の盾ですし、
昔だったら、たくさんの人が隠れているように思わせ、前方後円墳の丸い部分には、やぐらが建っていて、敵を見張りしてたと思います。
前方の長細い部分に槍をたくさん積んで、要塞みたいに使用していたのでしょう!
要塞を作って、さらに天皇が死んだら墓にしたという合理的な考えであったのだと思います。
デカければ、デカいほど、威圧感があるのも納得です。
大阪湾の干拓もこの時代にしたそうです。