今から約三十年前、私は、N中学校の男子テニス部の顧問だった。当時の二年生に須藤(仮名)という選手がおり、私は、彼の運動能力と才能に大きな期待をかけ、一年生の段階から、他の二年生を退けて、新人戦の選手に起用していた。そのようにして、ある程度の試合経験を重ねてきたはずだったのだが、その翌年の夏の県民体育大会において、私の想像もしないアクシデントが彼を襲ったのだ。

二年生の彼がペアを組んだ相手は、福島(仮名)という三年生で、非常に穏やかな性格と、粘り強く努力をし続ける素晴らしい根性の持ち主だった。そのペアを含め、飯田、山坂(仮名)という三年生のエースを擁して、N中学校は、地区予選を難なく勝ち抜き、何度目かの県大会に進出したのだった。

県大会の一回戦を無事に勝ち抜き、二回戦に入り、その第一試合を奪われて、第二試合に須藤・福島のペアを起用した。その第二ゲームにおいて、サーバーである須藤はあろうことか、二度連続のダブルフォールトをしてしまい、コートの上に(ひざまず)いてしまったのだ。

後から彼に聞いた話だが、前日の夜から試合のことでほとんど眠れず、ものすごいプレッシャーに耐えていたということだった。それは自分自身の勝敗以前に、「先輩たちに迷惑をかけたくない」という思いからだった。

「三年生の最後の大会が、もし自分のミスで不本意に終わってしまったら……」

そう考えた時の重圧は、想像以上に苦しいものだったようだ。私が駆け寄った時、彼は涙をこらえきれない状態だった。とっさに私は審判に、「暑さのために目眩(めまい)を起こした」と言い訳し、五分間のタイムを要求した。そうした上で、須藤を励まそうと振り向いた瞬間、すでに自分の出る幕はないことに気づかされた。

三年生のパートナーの福島が、彼を抱きとめるようにしてコートの隅に移動させ、その肩に手を乗せ、一緒に座り込んで、一生懸命に励ましているのだ。

福島という選手は決して器用な選手ではなく、時には気後れしてミスを繰り返すことも多々あった。しかしそれにも増して、下級生に対して面倒見がよく、彼を慕う一年生や二年生は多かったようだ。スポーツの隠れた実力というのは、こういう面にあるのではないだろうか。