箱根の宿 二日目午前

俳句を始めるにあたり、社会人生活の長い私は慎重に戦術を練った。六十九歳と高齢であるから、なるべく効率よく俳句を学び、早く結果を出さねばならない。

入門書を読むとたいていが、俳句結社への早期加入を勧めている。私の事前調査によると、俳句初心者は、入門書を頼りに見様見真似で句を作り、少し慣れたら、新聞や俳句雑誌に投句してみる。そして、何度か入選して自信がつくまでは、俳句結社に入るのを見合わせる人が断然多い。俳句結社は俳句歴の長い実力者の集団だから、未熟な初心者など相手にされないと思ってのことのようだ。

俳句結社に入会した結果、句会での成績や、結社誌への掲載句数などで、己が未熟であることが歴然とし、その結果、恥をかくことになるのはごめんだ、プライドが許さないということだろう。自分のような人間は、結社の足を引っ張るのではないかと、心配をする人もいるようだ。

しかし私は、プライドと恐怖心を捨て、決然と早期に俳句結社に加入することにした。俳句を始めたその月のうちに入会したのである。そのような大それたことを実行したのは、年齢を考えれば悠長なことはやっておられなかったからだ。

結社に入っても、もう大丈夫だろうという自信が生まれるまで、俳句の実力向上を待つ時間が私にはなかった。歳を取ってから、俳句という新しいことを始めたのだから、とにかく時間がない。人生の砂時計の砂が容赦なく落ち続けている。思い切って賭けるしかなかったのだ。プライドなんかどうでもよい。冒険でも何でも、体当たりでやるしか道は残されていなかった。

俳句結社は会社ではないから、私の俳句が未熟でも、人間関係や取引先やボーナスに影響を及ぼすことはない。未熟者だからといって人間性が傷つけられる差別も受けまい。むしろ私と同じ年齢層の老人も多いから、哀れに思って手助けしてくれるのではないか。もしも万一、私が足を引っ張ることになっても、老い先短い私に免じて許してもらおう。芭蕉の蛙は古池に飛び込んだが、私は結社に飛び込んだ。