私は大変困りはてた。夕刻の教室で、南風先生の指導が始まる。高度な技術をもつ塾生たちは、南風先生から難しい行書の手本を渡され、熱心に取り組んでいる。私はといえば、基本的な運筆の練習として「天」や「水」などの字の楷書を繰り返し書いていた。私が、なんとか形を整えた字を半紙に書き、南風先生に見てもらおうと列に並ぶと、私の学校の生徒たちがさっと立ちあがって、私の後ろに並ぶ。

目の聡い生徒たちは、すでに私の技量の未熟さに気づいており、私がどんな下手な字を書くのか、南風先生が私にどんな指導をするのか、気になって仕方がないようだった。私は顔が真っ赤になるやら、頭が真っ白になるやらで、屈辱的な思いに耐えることを覚悟していた。

南風先生は、私の後ろに並ぶ生徒たちにちらっと目をやり、その上で私の差し出す半紙に目を移し、その字の中で、比較的良くできた部分に朱墨で大きく丸を描くと、後ろにいる生徒たちに向かって「奈良先生みたいな力強い線を書くんだよ」と言った。

私はその瞬間、涙が出る思いで、南風先生に感謝していた。私の書く毛筆の字が、力強いはずはないのだ。後ろに並んだ生徒たちの方が、はるかに上手なのは明白なのだ。それなのに南風先生は、生徒たちに対する私の体面を気遣ってくれたのだろう。

その後も南風先生は生徒たちの前では、私の下手くそな字に対して、同じように指導してくれた。それから約二十五年間、教室を月に二度の高齢者対象のクラスに替えはしたものの、私は南風先生の指導から離れることはなかった。

訳あって、現在は書道教室に通うことをやめてしまったが、いまだにあの時の先生の優しさ、温かい思いやりを振り返ると、目頭が熱くなる思いがよみがえる。南風先生のおっしゃった本当の意味での「力強い線」が書けるように、これからも筆文字を書き続けていきたいと思う。