何年か前、時の萩の市長が会津若松市を訪れるなど、旧長州藩側から旧会津藩側への和解の試みもなされているようであるが、これに対する会津側の姿勢は、「今を生きている旧長州地域の人たちに恨みをぶつける気はないが、過去の事実を消すことはできない」ということのようである。

明治維新あるいは戊辰150年と言われた2018年、平成30年、1月の通常国会冒頭の施政方針演説で、時の総理大臣は、演説を次の言葉で始めた。

「150年前、明治という時代が始まったその瞬間を、山川健次郎は、政府軍と戦う白虎隊の一員として、迎えました。しかし、明治政府は、国の未来のために彼の能力を生かし、活躍のチャンスを開きました。

……(省略)……

東京帝国大学の総長に登用された山川は、学生寮をつくるなど、貧しい家庭の若者たちに学問の道を開くことに力を入れました。女性の教育も重視し、日本人初の女性博士の誕生を後押ししました。」

これを新聞で読んで、「明治政府が、賊軍であった白虎隊の一員を、寛大にも特別に東大総長にしてやった」と、山口県選出の総理が自賛している。

山川は己の才能と努力で厳しい環境を切り開いていっただけなのだろうに、と思うのはひねくれているだろうか。そこで、演説の翌日の福島の新聞を見てみたが、県内2紙とも、社説も関連記事も、総理が山川を取り上げてくれたと、嬉しそうなだけであった。

戊辰戦争を巡る会津の長州への恨みのようなものは、端で気を揉むほどのものではなくなっているのかもしれない。もちろん、大震災と原発事故からの復興のため、支援を求めていかなければならないという、改めて福島が負うことになった弱い立場も考える必要があろうが。